【一度は見たい紅葉百景】コラム 紅葉はなぜ 日本人の心を揺さぶるのか?(横浜市立大学大学院教授・嶋田幸久)

写真/ピクスタ
植物たちが進化の過程で獲得した優れた冬支度
ジャズの名曲「Autumn Leaves(オータム リーブス)」は日本語で「枯葉(かれは)」と訳されますが、私たち日本人の心に浮かぶ情景とは少し異なるかもしれません。日本人が秋の葉に思いを馳(は)せるのは、物悲しい茶色の枯葉というより、燃えるような紅葉や目に鮮やかな黄金色の輝きではないでしょうか。
私が教鞭(きょうべん)を執っている横浜市立大学の金沢八景キャンパスでも、秋が深まると校門から続くイチョウ並木が美しい黄金色のトンネルへと姿を変えます。その風景にちなんで、イチョウの精「ヨッチー」が大学のマスコット役を務めています。
イチョウは、植物の進化の中では比較的古くからある裸子植物の仲間ですが、このように葉を色鮮やかに染めるものは限られています。実は、進化の歴史の中でより新しい被子植物が誕生し、そこからさらに進化した植物が「老化」という能力を獲得したことこそが、私たちが愛(め)でる紅葉の秘密と深く関わっているのです。
秋になり葉が色付き、やがて舞い落ちる。それは冬の寒さに耐えられず、ただ朽ちてゆく姿なのでしょうか。実は、そうではないのです。植物は、夏のまばゆい光を一身に浴びて命を育んだ葉を、ただ捨て去るわけではありません。葉の中にある光合成の装置を自ら積極的に解体し、タンパク質に含まれるアミノ酸などの栄養を、来たる春の芽吹きに備えて母体である幹へと送り返しているのです。
これは遺伝情報であるゲノムに刻まれたプログラムに従って行われる、巧みな生命の営みです。土から得られるミネラルや窒素などの限られた栄養を次の季節へ、さらに次の世代へと繋(つな)ぐために、植物たちが進化の過程で獲得した優れた冬支度の能力なのです。
横浜市立大学のイチョウ並木
大学マスコットキャラクター「ヨッチー」
植物の進化が黄色や赤を生み出す理由とは?
この過程で、まず光合成を担っていた緑の葉緑素が分解されます。しかし、なぜでしょう。その理由の一つは、葉緑素と結合しているタンパク質という貴重な栄養を回収するため。そしてもう一つは、光合成ができない状態で葉緑素が光エネルギーを受け取ると、行き場を失ったエネルギーが活性酸素という自らを傷つける刃に変わってしまう恐れがあり、それを防ぐためです。
その一方で、葉にもともと含まれていたカロテノイドという黄色の色素は、最後まで葉に留まります。カロテノイドは光のエネルギーを無害な熱に変える力があり、大切な栄養を運び終えるまで葉を守る、優しい日よけの役割を果たすのです。これが、イチョウの葉が黄金色に輝く理由です。
では、モミジが見せる、あの燃えるような赤色はどこから来るのでしょう。葉の光合成装置のタンパク質を余すことなく回収するには、カロテノイドもタンパク質と一緒に分解しなくてはなりません。日よけを失った葉は、有害な光に晒(さら)されてしまいます。
そこで植物は、最後の力を振り絞り、アントシアニンという新しい赤色の色素をその体内に作り出すのです。この色素もまた、ミネラルなどの栄養を含まないため、潔く大地に還すことができる捨て身の策といえます。命のバトンを未来へ繋ぐための、最後の情熱が燃え上がらせる色なのです。
ここまで読んでいただけたなら、なぜ日本の秋がこれほどまでに美しく染まるのか、その理由にお気付きかもしれません。温帯に位置し、明確な四季を持つこの国で、植物たちは生存に不利な冬を乗り切るため、進化の過程で「老化」のプログラムを磨き上げ、黄葉や紅葉という芸術を編み出しました。それが、私たちの心を揺さぶる秋の風景となったのです。
ところが昨今、日本の気候が亜熱帯へと変わりつつあるという声が聞かれます。亜熱帯は、冬を越すための「老化」プログラムを持たない常緑樹が多く生い茂ります。この国の美しい紅葉を未来に引き継ぐためにも、地球温暖化という大きな流れに、私たちは思いを馳せるべきなのかもしれません。
文/嶋田幸久(横浜市立大学大学院教授)
しまだ・ゆきひさ
1963年、大阪府出身。横浜市立大学大学院生命ナノシステム科学研究科教授、同大木原生物学研究所所長。専門は植物が生きる仕組みを分子レベルで研究する植物生理学。著書に『植物の体の中では何が起こっているのか』(べレ出版)。NHK Eテレの科学番組や新聞の科学記事の監修も務める。
※記載内容は掲載時のデータです。
(出典:旅行読売2025年10月号)
(Web掲載:2025年10月9日)