【日本の祭り 】村人の願いを込めた巨大な火柱が立つ「野沢温泉の道祖神祭り」(長野)
社殿が燃え崩れるとひときわ大きな火柱が立つ
荘厳な木造社殿は高さ10メートル以上
長野県野沢温泉村では、毎年1月15日に「野沢温泉の道祖神祭り」が開催される。その歴史は300年ほど前から続き、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
当日、会場の馬場の原では、良縁・子宝の神様として各家庭の神棚に祀られた男女一対の御神体(道祖神)を持ち寄っての縁結び(交換)や、古い御札や正月飾りなどをお焚き上げする火祭り(どんど焼き)が行われる。火祭りの社殿は5本の御神木(ブナ)を柱にして、木材や枯れ木を使って組んだもので、釘や針金は一切使用しない。高さは10メートル以上もあり、その大きさに驚かされる。
「御神木は前年秋に伐採・乾燥させておきます。前々日(13日)には“御神木里曳き”といって、42歳と25歳の厄年男性が2本の御神木を日影ゲレンデから祭り会場まで引いて運びます。汗だくになりますよ(笑)。前日(14日)から社殿を組み上げ、当日の昼頃までに完成させます。作業が進むほどに“いよいよだ”と緊張と期待が高まりました」
そう語るのは野沢温泉村商工観光係の笹岡俊介さん。2025年の道祖神委員長でもあり、祭りの流れや魅力をくわしく教えてくれた。
数え42〜40歳と25歳の厄年男性が運営
祭りの運営は地縁団体・野沢組の惣代が総元締めになり、数え42〜40歳の厄年男性で構成された“三夜講”と数え25歳の厄年男性が中心に行なう。
「昔の三夜講は3年間同じメンバーで総入れ替えしたそうですが、近年はところてん式に本厄(42歳)が押し出されて入れ替わります。役割分担は話し合いで決まり、委員長は現場の統括として、祭りが無事に執り行われるよう各所との連携を図りました」
統括に加え、「火元もらい」も委員長の大きな仕事だ。当日19時頃に委員長と代表者は採火処へ行き、火元の河野家当主から火まつりに使う火をいただく。河野家当主は厄年男性たちと囲炉裏を囲んで歓待しながら、その覚悟を確かめる。ようやく許可が下ると、当主は白装束に着替え火打石を使って火を起こす。
「先輩からはひとり当たり日本酒1升を飲まないと火をいただけないと聞いていましたが、楽しくお酒をいただき無事に火をもらいました。その火を大きなたいまつに移して、会場まで運び、社殿から30㍍ほど離れた火元社殿(枯れ木の山)に移します。その後、私は本厄男性たちが待つ社殿に上がりましたが、大勢の方々で会場が埋め尽くされていて感無量でした」
「火の攻防戦」は厄落としと大人の仲間入りの祝福
社殿の上から約2000本の小たいまつが落とされると、いよいよ「火の攻防戦」がスタート。村人たちはボヤの火で燃やした小たいまつを持って、社殿に火をつけようと攻めてくる。社殿の上には42歳厄年男性、社殿の下には25歳の厄年男性が陣取り、「火もってこい!」と気勢を上げながら社殿を守る。とくに25歳は文字通り体を張り、社殿に移った火は松の枝で消していく。攻防戦は1時間30分ほど続き、終了時には全身が煤(すす)だらけになる。
「火の攻防戦と呼んでいますが、真意は戦いではなく厄落としであり、一人前の男として認められた荒っぽい祝福です」
火の攻防戦が終わり、手締めが行なわれると社殿に火が放たれる。巨大な火柱が立ったところで初灯籠が奉納される。これは長男が誕生した家が無病息災を祈願して奉納するもので、約9メートルの中心柱に御幣(ごへい)、傘、丸灯籠、菱灯籠、書き初めなどの飾り付けがされている。そして社殿が燃え崩れると祭りは終わりを迎える。翌朝に社殿の残り火で餅を焼いて食べるとその年は風邪を引かないとも言われている。
「社殿が燃え上がった時から涙が止まらず、崩れ落ちた時は肩の荷が下りて安堵しました。25歳のときは勤め先が村外だったこともあり、あまり作業に参加できず、祭りの伝統や文化を理解せずに勢いだけで参加していましたが、三夜講に加わりしっかり向き合うことで、その重要性と大変さがよく分かりました。委員長という役目柄、人前に出ることが多かったですが、無事に祭りを成功できたのは私一人の力ではなく、仲間全員のおかげだと思います。三夜講で過ごした3年の時間と一緒に作業した先輩・後輩は特別な存在で、私の宝物。この祭りは人の想いに触れ、その思いをつないでいく、野沢温泉村にとって欠かせないものです」
今後、笹岡さんは「道祖神祭り保存会」として後輩を指導するそうだ。なお、祭りの観覧は村民と村内宿泊者に限定されるので注意しよう。
文・写真/内田 晃
【名称】野沢温泉の道祖神祭り
【会場】馬場の原
【交通】北陸新幹線飯山駅から直通バス25分の野沢温泉下車、徒歩5分
【問い合わせ】0269・85・3155(野沢温泉観光案内所)
(Web掲載:2026年1月9日)

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