【天下取りの城へ】小田原合戦の舞台となった 二つの城を巡る 小田原城・石垣山城(1)
1960年に復興された小田原城天守。北条五代や小田原合戦についての展示もあり、最上階からは城の周囲360度が見渡せる
天下統一の総仕上げとなった小田原合戦
秀吉にとって天下統一の総仕上げとなったのが、1590(天正18)年の小田原合戦だ。支配下の大名を集めた総勢20万の軍勢で、北条(ほうじょう)氏に挑んだといわれる。北条方はそれにどう向き合ったのか、合戦の舞台となった小田原に向かった。
東海道新幹線小田原駅から10分ほど歩くと広大な小田原城址公園がある。正面入り口から馬出(うまだし)門、銅(あかがね)門、常盤木(ときわぎ)門をくぐると本丸。見上げれば、石垣からの高さ27.2メートルの3層の天守がそびえる。
これらの天守や門や橋は、小田原合戦後の江戸時代に建てられた城の姿を復元したもの。戦国時代の小田原城は、領民の住まいや田畑など城下を取り込んだ、とてつもなく巨大な城郭だったという。小田原城から徒歩5分の高台に「八幡山(はちまんやま)古郭東曲輪(くるわ)」の跡が残る。北条氏時代の小田原城の中心地の一つとされ、海を借景に復興天守が望める。

八幡山古郭東曲輪からの眺め。戦国時代の小田原城の中心地の一つだった
さらに15分ほど足を延ばすと「小峯御鐘(こみねおかね)ノ台大堀切(おおほりきり)東堀」がある。北条氏は秀吉の攻撃に備え、1年ほどかけて城下町を丸ごと囲むような総延長9キロに及ぶ堀と土塁の総構(そうがまえ)を築いた。深さ10メートルを超える急勾配の空堀の底に立つと、そのスケールの大きさを実感する。尾根筋を分断するように設計されており、高低差を付けたり、滑りやすく歩きにくい障子(しょうじ)堀にするなど、徹底して守りを固めたという。

小峯御鐘ノ台大堀切東堀。小田原北条氏が築いた堀の中で、当時の様子が最もよく残る
🏯お城豆知識
合戦後に国元に戻り、堅固な小田原城総構の造りを自国の整備の参考にした豊臣方の武将も多かった。石垣山城は桝形(ますがた)や門の配置などにも工夫を凝らした近世城郭で、縄張りの設計は、肥前名護屋城に踏襲されたという。二つの城がその後の城造りに与えた影響は大きい。
文/高崎真規子 写真/三川ゆき江ほか
【天下取りの城へ】小田原合戦の舞台となった 二つの城を巡る 小田原城・石垣山城(2)へ続く(3/2公開)
【モデルコース】
小田原駅
↓ 徒歩10分
小田原城
↓ 徒歩5分
八幡山古郭東曲輪
↓ 徒歩15分
小峯御鐘ノ台大堀切東堀
↓ 徒歩20分
ういろう本店
↓ タクシー10分
石垣山城
↓ タクシー10分
早川駅
<小田原城> 日本100名城
■御城印:あり(300円)
■入城:天守閣9時~16 時30分(延長の場合あり)/12月第2水曜、12月31日休/天守閣510円(2026年3月1日に改定予定)
■交通:東海道新幹線小田原駅から徒歩10分
■住所:小田原市城内6-1
■ 問い合わせ:TEL0465-22-3818(小田原市観光協会)

<石垣山城> 続日本100名城
■御城印:あり(300円。一夜城ヨロイヅカファームで販売、火・水曜休)
■入城:自由(夜間を除く)
■交通:東海道線小田原駅からタクシー15分、または東海道線早川駅からタクシー10分(土・日曜、祝日のみ、一夜城歴史公園に停車する小田原宿回遊観光バスを運行)
■住所:小田原市早川1383-12
■ 問い合わせ:TEL0465-23-1373(小田原城総合管理事務所)

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※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:旅行読売2026年2月号)
(Web掲載:2026年3月1日)


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