【「旅行読売」創刊60周年記念】旅のエッセーコンテスト 第2回 旅と食
福井県の芦原(あわら)温泉から朝日を一望。田園地帯に囲まれ、自然豊かな温泉地は「関西の奥座敷」とも呼ばれる (写真/ピクスタ)
受賞者:愛知県岡崎市 清水祐子さん
「旅の味は、何が決める?」
学生の頃に初めて訪れた芦原温泉の朝が、私の「旅する理由」になった。
芦原温泉に宿泊した翌日、大きな窓から朝の光が差し込み、山肌に反射した朝日は隣の山肌を照らし返す。なんとも壮大な景色を見た。湯の香りがほのかに残る廊下を歩いて席につくと、炊きたての白米が湯気を立てて待っていた。給仕の方が「このあたりの水は、雪の名残(なごり)がまだあってね」と笑いながら話してくれた。その言葉に耳を傾けながらひと口。口いっぱいに芦原温泉の朝が広がった。おいしいという言葉が、自然に口からこぼれる。特別な料理ではない。それなのに、旅先で食べる白米はどうしてこんなにもおいしいのだろう。
そのおいしさを自宅でも味わいたくて、同じ銘柄の米を買って帰った。こんなことは初めてだった。家で丁寧に研ぎ、浄水器の水を入れ、炊飯器のスイッチを押す。炊き上がりの香りはあのときと似ている。いつもよりも一膳多く食べてしまうあの香りだ。見た目もあのときと変わらない。お米の粒が美味(おい)しそうに立っている。けれど、ひと口食べて箸を置いてしまった。この味ではない。これは、私がもう一度味わいたいと思った〝あの味〞ではない。期待していた味と違ったことへの落胆は、あまりにも大きかった。米は同じはずなのに、どうしてこうも違うのだろう。
それから色々なおいしい白米に出会いたくて、旅をするようになった。とある土地を訪れたとき、宿の方が「ここの水はそこの山の記憶を運んでいましてね」と言ってお茶を淹(い)れてくれた。半ば冗談だったのかもしれないが、私の頭の中で、パズルのピースがピタリとはまった。あぁ、そうか。芦原温泉でいただいた白米は、米も水も「土地の記憶」を吸い込んでいたのだ。地層を通り、季節をくぐり抜けてきた水が、米の一粒一粒にその土地の時間を染み込ませる。だから、同じ米なのに、自宅で炊いたものは味が違ってしまったのか。

炊き立てのご飯は、それだけでごちそうだ (写真/ピクスタ)
旅先で白米がおいしく感じられる理由はもうひとつある。旅に出ると、人はいつのまにか〝旅行モード〞になる。見慣れない風景に心が躍り、五感が少し敏感になる。朝の光、炊事場の音、湯気の匂い。そういう一見味と結びつかないものが、白米の味わいを押し上げる。日常では主食である白米を、旅先では〝非日常の主食〞に変える名脇役になる。
家に戻ってから炊く白米が、旅先の味と違っていて当然だ。むしろ、その違いが、旅で出会った一膳のおいしさを際立たせる。
米は持ち帰ることができる。お米の銘柄で炊き分けられる炊飯器もある。けれど、炊飯のときに使われた水だけは持ち帰れない。土地の米と水がつくる味は、その土地にしかない。加えて、五感は通常モードだ。だからこそ、旅先で食べる白米には、旅の意味が宿る。
それ以降、持ち帰ることのできない味をもう二度、三度味わいたくて、私は以前訪れた場所へも行くようになった。白米の湯気を立ちのぼらせているのは、その土地の歴史だ。その土地ならではの一膳に出会うために、これからも私の旅は続いていく。
◎ コンテスト講評◎
今回は編集部内でも意見が分かれましたが、最終的には「王道」と言えるこの作品が選ばれました。旅先で口にした食事や飲み物が信じられないほどおいしかったという経験は誰もがしたことがあると思います。その理由を探求するのも旅の喜びなのかもしれません。
《編集長・山脇幸二》
旅のエッセーコンテスト
月刊「旅行読売」はさまざまな旅を文章にしてきた媒体として、読者の方にも旅の感動を文章で伝えていただきたいと考え、創刊60周年記念「旅のエッセーコンテスト」を開催中です。第1回(3月号)、第2回(6月号)、第3回(9月号)、第4回(12月号)とテーマを変えて作品を募集。旅のエッセー賞(1点)を選び、旅行読売本誌、当メディア「たびよみ」に掲載する予定です。プロ・アマ問わず参加できます。あなたの記憶に残る旅の感動、驚き、発見を、ぜひ文章で表現してください。
詳しくは「旅行読売」本誌をご覧ください。月刊「旅行読売」は全国の書店またはこちらの当社直販サイトで送料無料でお求めいただけます。
(出典:旅行読売2026年6月号)
(Web掲載:2026年6月3日)


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