【明治・大正・昭和 古地図さんぽ】第3回 大正時代と平成時代の軽井沢 《5万分の1 地形図「軽井沢」/1916(大正5)年・鉄道補入/1997(平成9)年・要部修正》
(上)5万分の1地形図「軽井沢」大正5年(1916)鉄道補入(下)5万分の1地形図「軽井沢」平成9年(1997)要部修正
明治・大正・昭和の「古地図」をテーマにした新連載です。 その時代を映す地図の古い地名・地形を読み解き、当時にタイムスリップして誌上さんぽを楽しみます。 案内人は地図研究家の今尾恵介さんです。

プロフィール
いまお・けいすけ
1959 年、横浜市出身。エッセイスト、フリーライター。地図研究家、収集家。(一財)日本地図センター客員研究員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査などを務める。著書に『地図バカ』(中央公論新社)、『地図マニア 空想の旅』(集英社インターナショナル、第2回斎藤茂太賞受賞)、『地図と鉄道』(洋泉社、第43回交通図書賞受賞)、『地理院地図の深堀り』(PHP 研究所)ほか多数。
81年を経て大きく変貌した信州軽井沢
明治から現在まで作り続けられている地形図は、地域の時代をたどる詳細なプロフィルだ。上下2枚の地形図を比べると、81年を経て大きく変貌した信州軽井沢の様子がわかる。上は1916(大正5)年の鉄道補入版だが、前の版にあたる12(明治45)年の測量で作成された地形図に鉄道(具体的には「草津機関鉄道」こと草津軽便鉄道)の線路を追加して発行したものだ。
下の碓氷(うすい)峠は群馬県側から急勾配で上り続けてたどり着く、下り坂がほとんどない典型的な「片峠」。信越本線の線路は66.7パーミルという異例の急勾配で敷設された。ふつうの機関車では太刀(たち)打ちできないので、レールの間に取り付けた歯軌条(しきじょう)に機関車の歯車を噛(か)み合わせて上る、当時欧州で最新式だったアプト式を採用している。当初は蒸気機関車で、乗務員も旅客もさながら煤煙(ばいえん)地獄の洗礼を受ける難所だったが、上図は12年に電化された直後だ。
軽井沢は中山道の宿場町であったが、幕末の天保年間の数字では本陣1、脇本陣4、旅籠(はたご)21軒と小規模で、1884(明治17)年に碓氷新道(現国道18号―上図に「中山道」の表記)が開通した後はたちまち衰退してしまう。ところがカナダから来た聖公会の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーがこの地を気に入り、88年に別荘を建てた。その後は主に宣教師とその家族を中心とした「英語が通じる避暑地」の様相を呈していくが、93(明治26)年には外国生活が長かった海軍大佐の八田(はった)裕二郎が日本人として初めてここに別荘を構えている。ちょうどこの年に横川―軽井沢駅間が開通して上野から長野を経て直江津まで直通できるようになり、その後は別荘も順次増加した。1905(明治38)年には純西洋式で木造の三笠ホテル(上図上端)も竣工、これは後に国の重要文化財に指定されている。

約5年半にわたる保存修理工事が終わり、2025年10月、リニューアルオープンした重要文化財 旧三笠ホテル。展示を一新し、カフェやショップもある(写真/ピクスタ)
前述の草津軽便鉄道は草津に向けて少し先の小瀬(こせ<温泉>)まで開通したばかり。後に電化して26(大正15)年に草津まで全通、さらに草津電気鉄道→草軽電気鉄道と改称し、別荘地や草津温泉を結ぶ観光鉄道として活躍、草津白根山麓の硫黄も運んだ。ただし戦後になっても全線55.5キロに約3時間半かける浮世離れしたスピードの必然か、60(昭和35)年には軽井沢の町から姿を消している。
広大な草原がカラマツ林の別荘地に変貌
上図の記号で明らかなように、軽井沢駅から旧軽井沢(宿場)までの間は草原が広がっていた。透水性の高い火山土壌ならではの植生だが、後年のカラマツ林の中に別荘が点在する「軽井沢の原風景」に変貌したのは自然な推移ではなく、別荘分譲事業を始めた貿易商・野沢組の野沢源次郎が総計200万本のカラマツとモミを植林したことが大きく寄与している。
下図は81年後の1997(平成9)年。翌年の長野オリンピックを前に北陸新幹線(長野新幹線)が開通した年だ。信越本線は超急勾配の横川―軽井沢駅を廃止し、以西は第三セクター「しなの鉄道」に移管されている。整備新幹線の「並行在来線」対応の最初の事例だ。これにより特急で2時間かかった上野―軽井沢駅間は半分の約1時間になった。ちなみに上図の頃は上野から5時間近くだから、「軽井沢の空気」のありがたみもずっと大きかったに違いない。
西側の中軽井沢駅はかつて中山道の宿場名と同じ沓掛(くつかけ)駅と称したが、56(昭和31)年に改称してすでに70年。その左上に広がる千ヶ滝別荘地は堤康次郎(つつみやすいじろう<後の西武グループ創業者>)が大正期に開発したもので、第一次世界大戦時に「にわか長者」となった事業家などの需要急増を当て込んだものである。それから約1世紀後のコロナ禍を経て、リモート勤務の広まりとともに軽井沢に住む人は増えつつあるようだ。
文/今尾恵介
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2026年10月号)
(Web掲載:2026年11月9日)


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