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【「旅行読売」創刊60周年記念】旅のエッセーコンテスト 第4回 旅と温泉

場所
> 田辺市
【「旅行読売」創刊60周年記念】旅のエッセーコンテスト 第4回 旅と温泉

大塔川をせき止めて造られる大露天風呂「仙人風呂」。水量の少ない12月~2月に登場する、川湯温泉の冬の風物詩 (写真/ピクスタ)

受賞者:大阪府泉佐野市 水島諭子さん

「川を掘れば、湯気が立つ」

十歳のころ、家族と和歌山県の川湯温泉を訪れた。

温泉といえば、建物の中にあって、浴槽にお湯が張られているものだと思っていた。ところが、目の前にあったのは、どこにでもありそうな川だった。澄んだ水が石の間を流れ、山の緑が水面に映っている。

「この川に温泉があるんやで」

家族にそう言われても、すぐには信じられなかった。川の水は冷たいものだ。それなのに、河原の砂を掘ると、地面の下から温かい湯が湧き出すという。

川なのに、温泉。冷たい水のすぐそばに、温かい湯がある。その不思議さに、私は胸を躍らせた。

河原には大小さまざまな石が並んでいた。丸い石、平たい石、白っぽい石、黒っぽい石。同じ形のものは一つもない。川の音は途切れることなく聞こえ、山から吹いてくる風が頬をなでた。温泉の湯気も、浴場の壁もない空へ、そのまま昇っていった。

私は生まれつき歩くことができない。子どものころの家族旅行では、行き先を決めるときにも、車椅子で行けるかどうかが先に立った。階段はないか。道は狭くないか。トイレは使えるか。ほかの家族なら楽しみから始まる旅行が、わが家では心配から始まることも多かった。

川湯温泉の河原も、車椅子にはやさしい道ではなかった。舗装された平らな道とは違い、石の上では車輪が思うように進まない。それでも家族は、「無理やな」と引き返さなかった。どうすれば私も川の近くまで行けるかを考えてくれた。

そのときの私は、家族に助けてもらうことを当たり前だと思っていたのかもしれない。しかし今になって振り返ると、私の旅はいつも、誰かが押してくれた一歩の上に成り立っていたのだと分かる。

ようやく川の近くまで来ると、流れる水の音が大きくなった。手を伸ばせば届きそうなところを、きらきらと水が走っていた。そのそばには、地面から湧いた温かな湯がある。冷たい川と温かい温泉は、混ざり合いながら流れていた。どちらか一方ではない。同じ場所に、正反対のものが一緒にある。その光景が、子ども心にもおもしろかった。

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熊野川の支流・大塔(おおとう)川の河原を掘ると、70度以上の源泉が湧き出す (写真/ピクスタ)

家族とともに温泉の温かさを感じながら、私は空を見上げた。天井ではなく、本物の空だった。山に囲まれ、川の音を聞きながら過ごす時間には、普段のお風呂とは違う開放感があった。

十歳の私は、それをうまく言葉にはできなかった。ただ、家族と同じ場所で、同じ川を見て、同じ温かさを感じていることがうれしかった。

旅の記憶は、有名な観光地や豪華な食事だけで残るものではない。川の音、石の形、頬に触れた風、家族の声。そんな小さなものが、長い年月を越えて心に残る。

両親がいなくなった今、あの日の家族旅行を思い出すと、川湯温泉の湯の温かさとともに、私を川辺まで連れていってくれた家族の温かさがよみがえる。

川は、あの日からずっと流れ続けているのだろう。十歳だった私は大人になり、家族の形も変わった。それでも、河原の砂の下に温泉が湧いていたように、見えなくなった思い出の下には、今も温かなものが流れている。目には見えなくても、掘れば湧き出してくる。

私にとって川湯温泉は、家族と旅した日のぬくもりを、今も心の底にたたえている温泉である。


◎ コンテスト講評◎

車いすを家族に押してもらい、河原に湧き出す湯の温かみを感じた少女時代の思い出。舞台は和歌山県の川湯温泉です。筆者にとっては温泉のぬくもりとともに家族の優しさを改めて知った旅でした。温泉は神様からの贈り物のようにありがたいものなのです。

《編集長・山脇幸二》

たくさんのご応募をありがとうございました。今回で最終回となりました。

(出典:旅行読売2026年12月号)
(Web掲載:2026年11月7日)


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