【駅弁】100年超える老舗駅弁を求めて山陽路へ
コリコリ感のあるタコの吸盤がたまらない「元祖珍辨たこめし」(糸崎駅にて)
料亭旅館の駅弁が話題に
1964年に東海道新幹線が開業し、鉄道はスピード化の時代へ。それに伴い、ボックスシートの窓越しに駅弁を買う楽しみは昔のこととなった。そんな時代だからこそ、創業100年を超える老舗の味を楽しみたくて山陽路を辿ることにした。
岡山市に本社を構える三好野本店は、1781年創業の米問屋が前身。津山藩の御用商人を務め、その後、料亭旅館「三好野」も営んだ。駅弁は、山陽鉄道岡山駅が開業した1891年から売り始めた。
「最初に手掛けた駅弁は、竹包みに塩にぎり、奈良漬けを添えたものでした。当時はたくあんが一般的で、『奈良漬けを入れるなんて、さすが料亭旅館の駅弁だ』と注目されました」と5代目社長の若林昭吾さんは話す。白米一升が8銭余の時代に、同じ8銭でも駅弁はよく売れたという。
桃太郎ゆかり、郷土の駅弁
当時の国内旅行といえば海外へ出かけるような盛り上がりで、駅弁も特別な存在だった。岡山駅の支度所では、見送る人も一緒に駅弁で宴を開く人が多かったそうだ。
現在、一番人気の駅弁は「桃太郎の祭ずし」。桃太郎ゆかりの地、ばら寿司が郷土の味である岡山らしさを出した駅弁である。酸味を抑え、やや甘めに仕上げた酢飯に幅広の錦糸卵を散らし、その上に有頭エビ煮、焼きアナゴ、ママカリの酢漬けなどの具材を並べている。
「具材は不定期に見直し、2018年からは刻みアナゴを大身に、藻貝をアサリに代えました」と駅弁開発担当の俟野智憲さん。赤貝に似た藻貝は岡山県でよく食べられ、ばら寿司に欠かせない。だが漁獲量が減り、安定量を確保できず、藻貝の使用を断念した。
創業約130年の老舗の味
そんな駅弁を食べながら、山陽線に揺られて西へ。2人掛けシートが並ぶ車内は空いていて、背もたれの向きを変えてゆったりと対面シートに。カップ酒の肴に具材を少しずつ賞味。「歴史は過去だけではなく進行形。これからも広く喜ばれる駅弁を生みたい」という若林社長の思いを感じる妙味であった。
カップ酒が2本空く頃に三原駅に到着。ここにも老舗の駅弁があるので途中下車した。1890年に創業、130年近い歴史のある浜吉である。
糸崎駅で24時間立ち売りも
三原はタコ漁で知られる港町で、また城下町。浜吉本社は隣の糸崎駅前にあり、1892年から糸崎駅で立ち売りしたのが駅弁物語の始まりだ。かつての糸崎駅は山陽鉄道の終着駅で、大規模な機関庫を併設。炭や水の補給のために、SLをはじめ列車の大半が停まったという。
「長い連結車両のあちこちから声がかかり売り子は大忙し。夜汽車も多かったので、全盛期には30人~40人が24時間体制で売っていました」と、6代目社長・赤枝俊郎さんは振り返る。
浜吉では現在、30種ほどの駅弁を扱っている。人気の「元祖珍辨(ちんべん)たこめし」は1953年に誕生。“珍”の字は、4代目社長・珍彦(うずひこ)さんの名前から付けられた。タコ漁の船に同乗した際、船上で食べた漁師飯のたこめしに感動して駅弁にしたという。
見た目は錦糸卵でも原材料名に“玉子焼”とあるのは、少し焦げ目を付けて焼いたこだわりから。地元向けの仕出し弁当でも浜吉の玉子焼は人気だ。
瀬戸内海を眺めながら駅弁を
そんなたこめしを食べながら、呉線に乗って広島駅へ向かうことに。「瀬戸内さざなみ線」の愛称があるほど、海景が魅力の路線だ。海辺を走る鉄道旅情にひたれる路線として人気が高い。
筆影山を見送った辺りから瀬戸内海が広がり、大小無数の島々が迎えてくれる。弧を描く入り江や浦々を過ぎるたびに、島々の重なりは変わり、表情の異なる多島美を楽しませてくれる。特に安芸幸崎-忠海駅間の車窓風景は、「JR西日本で最も美しい」と称賛する人がいるほどだ。
終着の広島駅にも魅力的な駅弁は数多い。「さて次は、どんな駅弁を味わおうかな」と、広島駅に着いて早々、胸躍らせて駅弁売り場へ向かった。
文/松田秀雄
(出典:旅行読売臨時増刊「おいしい駅弁旅」、2019年3月発行)
(ウェブ掲載2019年12月10日)
三好野本店 TEL:0120-35-3355
浜吉 TEL:0848-62-2121