家康公の月命日に“昇り龍”お守りを
昇龍守
期日限定で授与
自宅に神棚のような飾り棚がある。「ような」というのは、正式に宮形や神鏡などを置いているわけではなく、お神札と一緒に子どもの賞状や写真などを飾っている。毎朝その前で、「今日もお願いします」と手を合わせるのが日課になっている。
お守りを携帯するのも日々のリズム。年を増すごとに厄除け、無病息災といったご利益が気になるが、子どもの成長や家内安泰などを含め広く“開運”が一番の希望だ。コロナ収束の願いとあわせ、開運祈願に上野を訪ねた。
上野恩賜公園にある上野東照宮では、御祭神・徳川家康公の月命日である17日限定で「昇龍守」を授与している。家康公が安泰な江戸の世を築いたこと、また上野戦争や関東大震災、第2次世界大戦で社殿も鳥居も倒壊しなかったことなどから、開運、強運、健康長寿など広く信仰を集めている。
「多い時は昇龍守を300体ほど授与しています。密を避け、今は17日を含む連続3日間が授与日です」と禰宜(ねぎ)の嵯峨まきさん。禰宜は宮司に次ぐ神職である。
パンダやタヌキのお守りも
桐箱に入った昇龍守は、お守り袋に昇り龍を刺繍し、「御守護」と書かれた内符が入っている。社殿前の唐門に彫られた左甚五郎作の昇り龍をイメージしたものだ。頭が垂れたほうの彫刻を「昇り龍」、上を向いているほうを「降り龍」と呼ぶのは、偉大な人ほど頭を垂れるからだという。
昇龍守をはじめ20種ほどあるお守りすべて、嵯峨さんがデザインの原形を考えている。生活安全祈願の「パンダの御守」や、“タヌキ親父”の家康公のあだ名と「他(た)を抜く」の語呂にあやかる「子だぬき守」も人気がある。ジャイアントパンダ「シンシン」が赤ちゃんを産んだ話題もあり、パンダの御守はさらに注目を集めそうだ。
家康公、吉宗公、慶喜公を祀る
上野東照宮はそもそも、「東照社」の名で1627年に上野・寛永寺の敷地内に創建。1646年、正式に宮号を授かり「東照宮」となった。
現存する社殿は、1651年に第3代将軍・家光公が造営したもの。それまで、日光東照宮まで行けない江戸庶民が参拝していた浅草東照宮が焼失し、代わって上野東照宮が参詣所になった。
ふんだんに使った金箔がまぶしい社殿は、拝殿、幣殿、本殿からなる権現造りで、家康公、吉宗公、慶喜公の三柱を祀っている。かつて慶喜公の家臣で、寛永寺の檀家総代も務めた渋沢栄一の推薦で、御祭神とする社寺がなかった吉宗公、慶喜公も祀ることになったそうだ。
四方を取り囲む透塀も見事だ。透けた菱格子の造りから付いた名称で、上段に陸上の動植物、下段に海川の生き物が彫られている。内外あわせ257枚を数え、2013年、極彩色豊かに復元された彫刻はどれも生き生きとしている。
涼を楽しみながらウナギを賞味
参拝後の昼食は、上野東照宮そばにある伊豆榮 梅川亭で味わいたい。池之端に本店を構えるウナギ割烹で、吉宗公の時代に創業し300余年を数える。
愛知県の三河一色産のブランドウナギにこだわり、蒲焼きは砂糖を使わずしょうゆとみりんだけ、白焼きは酒だけを使い、ウナギのうまみを引き出す。持ち帰り用の弁当も充実し、うな重、鰻白焼丼、鰻地焼丼、天丼など20種ほどある。
事前予約が望ましいが、当日でも20分ほど待てば作ってもらえる。上野恩賜公園内に木陰を求め、夏の涼を感じながらウナギを味わうのも風情がある。