【おうちで南極体験】南極観測の拠点・昭和基地を知ろう(前編)
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1月29日は「南極の日 昭和基地開設記念日」です。1957(昭和32)年のこの日、日本の南極観測基地「昭和基地」が開設されました。今回は、南極観測隊の越冬隊に3回(第15次隊、第22次隊、第34次隊)参加し、隊長・副隊長を務められた佐藤夏雄名誉教授(国立極地研究所元副所長・現特別客員研究員)に、昭和基地についてのお話をうかがいました。
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南極は地球環境を正確にモニタリングできる場所
編集部:昭和基地という名称はよく耳にしますが、一体、ここでどんなことをしているのでしょうか。昭和基地は南極観測あってのものですので、まずは南極観測について教えていただけますでしょうか。
佐藤夏雄先生(以下佐藤、敬称略):南極は人間がほとんど活動していない場所なので、地球環境を正確にモニタリングできる、地球上でも希有なところです。かつては探検家の夢であり、国家の威信を誇るステージであり、時には領土権争いの対象でもありましたが、現在は、人類が手を取り合い、さまざまな自然現象の中から地球の過去を知り、未来を予測しようとしています。
また、南極は地球上の淡水の約7割が氷床(ひょうしょう)として存在するので、それ自体が地球の温暖化を制御する巨大な冷源の役割を担っています。南極大陸沿岸で発生する冷たい海水は、地球を循環する海流の起点となって世界中の海を駆け巡り、地球各地の気候に大きく影響しています。
南極観測の意義はいくつかありますが、主なものは、
(1)地球環境を支配する要因がある
(2)地球環境の変化に敏感である
(3)地球環境の変化を監視するのに最適な場所である
(4)地球環境の記録が残されている
の4点に集約されます。
ちなみに、これまでの日本の南極観測隊による大きな功績は、人体に悪影響を及ぼす紫外線を遮るオゾン層に空いた穴「オゾンホール」を昭和基地で初めて観測したことと、約1万7000個以上の隕石を発見したことが挙げられます。現在、隕石の保有数はアメリカに次ぐ世界第2位です。
広さは1.8平方キロ! 68もの建物が立つ昭和基地
編集部:昭和基地の広さはどのくらいあるのでしょうか?
佐藤:越冬隊員が日常的に生活や観測・業務をしている活動範囲は、東西に約400メートル、南北に約400メートルです。通信アンテナ、燃料タンク、ヘリポート、夏季宿舎、観測設備としての大型アンテナなど各種アンテナの場所を含めた広さは、東西に約1500メートル、南北に約1200メートルです。
編集部:1キロ四方を超えるとは広いですね。その基地にはどんな建物があるのですか?
佐藤:昭和基地には現在、68棟の建物があります。中心的な建物は3階建ての管理棟で、食堂や厨房、隊長室、通信室、医務室、図書室、娯楽室などを備えています。そのほか、居住棟、通路棟、発電棟、作業工作棟、車庫、汚水処理棟、焼却炉棟、廃棄物保管庫、倉庫棟、環境科学棟、観測棟、情報処理棟、衛星受信棟、電離層棟、地学棟、基本観測棟、自然エネルギー棟などがあります。
編集部:昭和基地の建設の際は、あらかじめ、どこに何を建てるということが決まっていたのでしょうか?
佐藤:建物4棟や気象観測用タワーなどの設置はあらかじめ決まっていました。しかし、どこに建てるかは決まっていませんでした。日本が第1次南極観測で割り当てられたプリンスハラルド海岸の詳しい事前情報が無かったので、現地に到着してから適地を探すことになっていました。オングル島に日章旗を掲げて「昭和基地」と命名し、正式な上陸式を行ったのが1957(昭和32)年1月29日。基地の詳細な場所が正式に決定したのはその2日後の1月31日です。そこから基地の建設や越冬用機材・物資の搬入作業が始まり、その作業は砕氷船「宗谷」が離岸した2月15日まで続きました。基地に搬入した物資の総重量は151トンにも達し、約2週間という短期間で無線棟、主屋棟(食堂棟)、居住棟、発電棟の4棟を建設しています。
編集部:プリンスハラルド海岸付近は、南極の中でも到達するのが厳しいところだったと聞いたことがあります。どんな点が厳しかったのでしょうか?
佐藤:プリンスハラルド海岸は、それまでアメリカやイギリスなどが7回も上陸を試みるも、いずれも氷に阻まれて失敗している場所です。そのため、米海軍の報告書にはこの海岸は接岸不可能となっていました。また、この地域に関する情報は、ノルウェーの調査船が沖合を航行した時に、小型飛行機で撮影した航空写真しかなかったこともあり、砕氷船「宗谷」による接岸は大変困難であることが予測されました。
編集部:実際にたどり着くことも相当な困難だと思いますが、その前の準備段階で大変だったことは何ですか?
佐藤:南極観測の参加を政府が正式決定してから、南極へ向けて東京・晴海埠頭からの出港まで、わずか1年しかありませんでした。南極観測の参加は全くの未経験であり、かつ広範囲な関連分野で諸準備を急ぐ必要がありました。大きな問題点は、砕氷船をどのように準備するか、予想される巨額な経費をどのように調達するかです。最終的に砕氷船は、海上保安庁に所属する灯台補給船「宗谷」を大改造して使用することになりましたが、工期が1年足らずと短期間だったので困難を極めました。
編集部:もう一つの問題点だった経費はどのくらいかかったのでしょうか?
佐藤:国から支払われた総経費は約9億円です。そのなかで砕氷船「宗谷」の改造費は5億円を超え、昭和基地の建築関係の予算は約2500万円(文部省発行の『南極六年史』より)。参考までにその当時の国家予算は約1兆円です。
編集部:2020年度の国家予算は約102兆円ですから、単純比較すると総経費は900億円ほど……費用の膨大さがわかりますね。
佐藤:その他にも国内訓練や装備などにも多くの経費が必要でした。これらは国民を含めた多くの人々からの寄付により賄われました。寄付の総額は1億4000万円を超え、そのうちの1億円が朝日新聞社からのものです。準備でいえば、極寒地で経験のなさを補うため、大学の山岳部経験者が中心となり進めました。そのまとめ役を務めたのが西堀栄三郎さん、第1次南極観測隊の副隊長であり、越冬隊の隊長です。
【おうちで南極体験】南極観測の拠点・昭和基地を知ろう(中編)に続く
(WEB掲載:2022年1月29日)
佐藤 夏雄(さとう なつお)
1947年新潟県上越市出身。理学博士(東京大学)、国立極地研究所名誉教授。研究分野は「オーロラの南北半球比較」。
南極観測隊には、越冬隊に3回(第15次隊、第22次隊、第34次隊 ※隊長兼越冬隊長)、夏隊に1回(第29次隊 ※副隊長兼夏隊長)参加している。また交換科学者としてフランスとソ連の南極観測隊(ともに夏隊)にも参加、2012年より現職。南極クルーズにも4回参加している。
主な著書に『暁の女神「オーロラ」 南極ってどんなところ?』(朝日新聞社/2005年)、『ELF/VLF自然電波 南極・北極の事典』『オーロラの物理 南極・北極の百科事典』(ともに丸善/2004年)、『オーロラの謎―南極・北極の比較観測』(成山堂書店/2015年)、『発光の物理:大気の発光現象(オーロラ)』(朝倉書店/2015年)がある。