神田上水の記憶と再生の物語に触れる(1)
聖橋から神田川下流を望む。地下鉄丸ノ内線の線路がまたぐ(写真/ピクスタ)
神田川にかかる橋と歴史をたどって
貴方(あなた)はもう忘れたかしら♪
「神田川」といえば70年代に流行したかぐや姫の名曲を思い出す人も多いだろう。「窓の下には神田川 三畳一間の小さな下宿」と歌う舞台は西早稲田辺りという。JRの最寄り駅である高田馬場駅から神田川沿いを歩き始めた。
神田川は三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し、善福寺川と妙正寺(みょうしょうじ)川を集め、柳橋の先で隅田川に注ぐ。流路延長約25キロの長さで暗渠(あんきょ)にならず都心を流れる河川は珍しい。江戸の市民や武家屋敷の生活に欠かせない重要な水源であり、近年までしばしば氾濫を起こして為政者により川の流れを変えられてきた。そんな歴史の痕跡をたどりながら歩く。
高田馬場駅の北、神高(かみたか)橋のたもとには親水テラスがあり、夏にはここから神田川に入ることができた(コロナ禍で2021年は中止)。アユも観察されるというから、いかに神田川が浄化されたかが分かる。
遊歩道が整備された左岸を歩いて行く。新目白通りと交差する明治通りには高戸(たかと)橋が架かり、湾曲して流れる神田川に、暗渠になった妙正寺川が合流するのが見える。水害対策によって分水路が造られ、上流にあった合流地点が移動したのだ。
高戸橋と並行して走る都電の踏切を越えて神田川右岸へ。川を覆うように桜の枝が張り出しており、ここから桜並木が続く。例年4月上旬が見頃だが、花が散った後の葉桜も良さそうだ。
面影橋たもと、江戸城を築城した太田道灌(どうかん)の故事を伝える「山吹の里」の碑を過ぎ、「東京染ものがたり博物館」という看板に誘われガラス戸を開けた。大正初期からこの地で染色業を営む富田染工芸が染色道具や小紋の型紙を展示し、染物体験を受け付けている。
「昭和38年頃まで染め上がった生地を神田川で洗っていました」と社長の富田篤さんは話す。翌年の東京オリンピック開催前に下水道整備と河川浄化を進めたため、川の使用は禁止された。
大名庭園と明治の日本庭園に憩う
駒塚(こまつか)橋手前に肥後細川庭園がある。幕末、旧熊本藩細川家の下屋敷だったが(後に細川家本邸)、1961年に新江戸川公園として開園、5年前に現在の名称に変更された。池泉(ちせん)回遊式庭園は斜面の樹林帯など自然景観を生かした造りで、園内の松聲閣(しょうせいかく)では抹茶500円を味わいながら庭園を眺められる。5月下旬〜6月中旬は池畔のハナショウブが見頃を迎える。
関口水門の守護神として祀られている水(すい)神社、神田上水の改修工事に携わった松尾芭蕉が住んでいた関口芭蕉庵を過ぎると、左側はホテル椿山荘東京。明治の元勲・山縣有朋の邸宅だったところだ。約20品種100本の桜が植えられている庭園は、宿泊やレストランを利用すれば散策できる。
隣接して川沿いに江戸川公園が続く。徳川家康の命で家臣の大久保忠行が計画したとされる「神田上水」は、大滝橋付近にあった大洗堰(おおあらいせき)から取水されていた。園内には水門に使われた石材が残る。
江戸川橋から飯田橋を経て小石川橋まで、神田川の上を首都高速が走り、風情はない。小石川橋では日本橋川が合流する。家康の入府前はこちらが本流だった。洪水対策と江戸城外堀として機能させるため、本郷台地(神田山)を切り崩し、神田川の流れを変えた。水道橋の名は、後述するように、掛樋(かけひ=木製の配水管)が見えたことが由来だが、今ではマスク越しにも臭気が感じられた。
文・写真/田辺英彦
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住所:東京都新宿区西早稲田3-6-14
交通:都電荒川線面影橋駅から徒歩3分
TEL:03-3987-0701(富田染工芸)
住所:東京都文京区目白台1-1-22
交通:都電荒川線早稲田駅から徒歩5分
TEL:03-3941-2010
(出典:「旅行読売」2022年5月号)
(WEB掲載:2022年6月9日)