【家康の城へ】150人の大名が参集した秀吉の城 名護屋城(2)
徳川家康陣跡。今は木々に囲まれているが、当時は見晴らしが良かっただろう。建造物が何もない分、想像力が膨らむ
茶会や宴で諸大名と交流した家康
【家康の城へ】150人の大名が参集した秀吉の城 名護屋城(1)から続く
名護屋城に馳せ参じた家康であるが、下の「家康メモ」に記したように、陣と別陣、二つの陣を築いていた。当時の家康に関する記録は少なく、なぜ二つの陣を構えていたかなど分からない点も多いが、陣は名護屋城本丸から近く敷地もかなり広いことから、秀吉の治世においても非常に大きな力を持っていたことがうかがえる。
陣跡を訪ねると、小高い丘に平地が広がっているだけで建造物は残っていない。東に海を見下ろす環境は、今風に言えば「一等地」。名護屋城本丸もよく見えて、有事となればすぐに馳は せ参じたことであろう。別陣からは茶室の跡も見つかっている。当時は茶会がよく開かれ、名護屋は大名同士の交流の場でもあったという。秀吉自らも茶会、能、芝居などを催してよく遊んだ。
城跡から見る変わらない玄界灘の風景
家康の滞在期間は1年4か月だが、その間、秀吉のもとで文化やリーダー論などを学んだのではないだろうか。水利や海運など、後の江戸の町づくりにつながるヒントを得ていたかもしれない。
時間があれば、ほかの大名の陣跡も訪ねたい。名だたる大名らが暮らした空間、踏みしめたであろう土の感触を共有できるのが名護屋城の魅力でもある。小島が浮かぶ玄界灘の美しい風景は、秀吉や家康や諸大名が見たものと、きっと同じだろ。
文/渡辺貴由 写真/齋藤雄輝
城散策の前後に寄りたいグルメ&宿
名護屋城に近い港町・呼子(よぶこ)は、新鮮なイカが揚がる町として知られる。海の幸が味わえる料理店や旅館もあり散策の拠点も呼子にすると便利だ。
百と十_vesper(べスパー)
呼子の海に面して立つカフェ&ゲストハウス。広島から移住したオーナー夫妻が、明治時代に建てられた民家を改装して営む。ランチはパスタのほか佐賀牛を使ったハンバーグ、焼きカレー(各1100円)なども。ゲストハウスはシングル1室、ツイン2室で素泊まりも可。
旅館 金丸
アットホームな雰囲気の宿で、全室から海が見える。夕食はイカの活き造り付き。冬はアオリイカ、春はケンサキイカが旬。最上階に展望浴場がある。
名護屋城
入城:無料/清掃協力費(任意、大学生以上)100円
アクセス:唐津線西唐津駅からバス40分、名護屋城博物館下車徒歩5分
問い合わせ:TEL0955-82-5774(名護屋城観光案内所)
佐賀県立名護屋城博物館
入館:9時~17時/月曜(祝日の場合は翌日)休、年末年始休/無料
アクセス:唐津線西唐津駅からバス40分、名護屋城博物館下車徒歩5分
問い合わせ:TEL0955-82-4905
百と十_vesper
営業:11時~21時(土・日曜、祝日は7時30分~、ランチは11時~15時、18時以降は要予約)/火・水曜休(ゲストハウスは無休)
アクセス:唐津線西唐津駅からバス30分、呼子下車徒歩10分
問い合わせ:TEL0955-82-3287
旅館 金丸
料金:1泊2食1万4300円~
アクセス:呼子バス停から徒歩8分
問い合わせ:TEL0955-82-3921
※データは掲載時のものです
【家康メモ】
家康が約1万5000人の兵を率いて名護屋城に滞在したのは、1592(文禄元)年4月から1年4か月間とされる。当時の家康は242万石の大名で、豊臣秀吉に次ぐ実力者だった。名護屋城本丸の北東、「竹の丸」と呼ばれる場所に陣を置き、その東、名護屋浦を挟んだ対岸の呼子町殿ノ浦に別陣を築いた。
名護屋に滞在中、家康は渡海することはなく陣にとどまり、講和交渉に訪れた明の使節の応接を前田利家とともに担当したとされる。
(出典:「旅行読売」2023年2月号)
(Web掲載:2023年3月10日)