槌で叩く音に込められた日本刀への思い、京都府京丹後市で鍛冶場の見学や体験も!
鍛冶場での作業の様子。真剣な眼差しに現場の空気もピンと張り詰める
【この人に聞きました】株式会社日本玄承社 代表取締役 黒本知輝さん
青から赤、黄から白へ……。ふいごの風に松炭の炎の色が刻々と変化する。太古の記憶が呼び起こされるのだろうか。1300度の灼熱に焼かれた玉鋼(たまはがね)を鍛錬する大槌(つち)、小槌の甲高い音に心が揺さぶられる。
京都府の北端、日本海に突き出た丹後半島。3人の若き刀鍛冶(かじ)が株式会社「日本玄承社」を設立し、京丹後市の長閑(のどか)な農村に日本刀の鍛冶場を開いたのは、コロナ禍にあえぐ2022年1月のことだった。
社長の黒本知輝さん(37)、取締役の山副公輔さん(33)、宮城朋幸さん(同)は、天才とうたわれた無鑑査刀匠、吉原義人さんの兄弟弟子だ。3人とも子供の頃から時代劇のアニメやゲームが大好きで、中学時代には刀鍛冶になりたいと思うようになっていた。あこがれが色褪(あ)せることはなく、彼らは高校や大学を卒業した後、相次いで弟子入りした。
修行は「炭切り3年、向こう槌(助手の大槌)5年、沸(わ)かし(鉄を熱する)一生」と言われ、刀匠の資格を持つ者は250人しかいないという。50代でも若手と呼ばれる厳しい世界だが、師匠は新しいものへの挑戦を否定する人ではなく、3人は切磋琢磨しながら修業する中で、「伝統と今が融合した刀を作りたい」「力を合わせて、自分たちの工房を持とう」と語り合うようになっていた。資金面で苦労しながらも夢が叶(かな)ったのは、山副さんの親類の空き屋が使えることになったからだ。丹後には古代の製鉄跡が残り、刀にまつわる伝説も語り継がれている。彼らは運命的なものを感じ、夢への一歩を踏み出した。
奥出雲(いずも)のたたら製鉄で砂鉄を精錬した玉鋼を素材にした刀は日本文化の原点、何百年経っても輝きを失わないアートだが、その本質は「機能美にある」と黒本さんは言う。反り、刃文(はもん)、鍛え肌、刀鍛冶の意志が隅々までこもっているから、無駄がない。鍛冶場の見学・体験コースをスタートさせたのも、一振りの日本刀に秘められた物語を知ってほしかったからだという。彼らのチャレンジは今、始まったばかりだ。
文・三沢明彦
この人に会いに行くには
日本玄承社の鍛冶場は、京都丹後鉄道・峰山駅からバスで約30分、丹後ちりめん発祥の地、丹後半島には天橋立、伊根の舟屋、山陰海岸ジオパークなど見どころも多い。
(出典「旅行読売」2023年12月号)
(Web掲載:2023年11月3日)