”伊賀越え”から”伏見”へ 家康が逃げた道、天下を取った町(2)
御香宮神社の家康造営の本殿と伏見城大手門の移築と伝わる表門は重要文化財。初代紀州藩主・徳川頼宣が寄進した拝殿は極彩色で精緻な彫刻の唐破風が特徴。大名屋敷と町家の中心に鎮座し広く崇敬を集めた。京都市伏見区御香宮門前町174/拝観無料/TEL:075-611-0559
「本能寺の変」後の逃避行の道「伊賀越え」と、征夷大将軍に任命された町「伏見」。徳川家康の転機となった舞台、京都。家康の運命と選択の地を訪ねる。
伏見にならった江戸の町
”伊賀越え”から”伏見”へ 家康が逃げた道、天下を取った町(1)から続く
家康から秀忠、家光の徳川三代は、征夷大将軍に伏見城で任命された。
「1603年(慶長8)、徳川幕府は伏見で始まりました」と話すのは、京都府立京都学・歴彩館の若林正博さん。生まれ育った伏見の歴史をひも解くエキスパートだ。「五大老や将軍となった家康は50代以後、江戸よりも長い歳月を伏見で過ごしました。豊臣秀吉が築いた伏見城と城下町の姿を、江戸の町づくりにも活かしたのでは、と考えられます」。
徳川の残像は町の各所にある。御香宮神社は天下人となった家康が本殿を造営。表門は伏見城大手門の移築と伝わる豪壮な構えだ。徳川御三家の初代、徳川頼宣(紀州)・頼房(水戸)・義直(尾張)の産湯には、社名の由来「御香水」が使われたと伝わる。
家康の孫・千姫が、わが子を出産して寄進奉納した通称「千姫神輿」は重さ約2.5トンで、日本一重い神輿と言われる。近年まで秋の神幸祭で担がれ、普段は境内に安置され、神幸祭期間中に公開されている。
初めて「銀座」が置かれ、家康の将軍宣下後も首都機能を維持した伏見城と城下町。後に廃城となったが、町人が暮らす町は京と大坂を結ぶ宿場町や水運業で栄えた。伏見は寒天発祥の地。寒天を使った煉羊羹は江戸初期、伏見の「駿河屋」が始まりだ。蒸羊羹よりも、日持ちが長く甘みも増した煉羊羹は、御用達の紀州徳川家だけでなく他の大名家も絶賛。全国へ広まった。
家康の世から約400年、全国屈指の酒造りの町にもなった伏見。中硬水の伏流水を使う清酒は「女酒」とも呼ばれる。散策でぶらりと立ち寄るなら「伏見夢百衆」へ。大正建築のレトロな空間で、伏見にある16蔵の利き酒を楽しめる。酒粕を用いた多彩なグルメの新たな魅力も、ぜひ味わってみよう。
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京都総合観光案内所「京なび」
京都市下京区烏丸通塩小路下る 京都駅ビル2階
TEL:075-343-0548
(出典:「旅行読売」2023年2月号)
(Web掲載:2023年11月27日)