文武両道の戦国武将、細川幽斎の足跡をたどる
戦国時代を駆け抜けた天才武将、細川幽斎こと藤孝(ふじたか)。室町時代末期に足利将軍家、後に明智光秀とともに数々の武功を上げて織田信長に仕えた。一方、和歌の教養と才能に秀で、「古今(こきん)和歌集」の解釈を秘伝として伝える、「古今伝授」の継承者であった。そんな文武両道の幽斎の足跡をたどってみたい。
幽斎が居城していた長岡京市の勝龍寺城の天守は、和歌の師匠・三条西実枝(さんじょうにしさねき)から、古今和歌集の解釈などの講義を受けた場所だ。信長の命によって堅固な城郭が築かれ、城跡は現在、勝竜寺城公園として整備。復元された土塁や空堀跡を見学することができる。
勝竜寺城公園のほど近くにある長岡天満宮は「古今伝授の間ゆかりの地」とされている。幽斎が古今伝授を行ったのが弟子の1人、八条宮智仁(としひさ)親王だった。後にその息子、智忠(としただ)親王は父が古今伝授を受けた建物を、境内の八条ヶ池に移築した。その後、建物は細川家に下賜され、現在は熊本市の水前寺成趣園に移築されている。
日本の歴史に深く刻まれた「本能寺の変」の後、光秀から援軍の要請があった幽斎はそれに応えず、隠居して築城中だった田辺城に移った。城の姿が、鶴が舞い降りたように美しいことから別名「舞鶴城(ぶがくじょう)」とも呼ばれ、「舞鶴(まいづる)」の地名の由来になった。城跡は公園に整備され、今も当時の石垣が残る。
1600年、「関ヶ原の戦い」の直前に起きた「田辺城の戦い」では、城近くにある桂林寺の僧侶たちが籠城戦に参加した。その勲功に対し、細川家が梵鐘を寄進。また通常非公開の大きな「仏涅槃図」も、細川家から寄進された寺宝だ。毎年2月1日から15日の涅槃会(ねはんえ)の期間中だけ公開される。
晩年を京都で過ごした幽斎が、再建を援助したのが南禅寺の塔頭、天授庵だ。内部は非公開だが庭めぐりは可能。南禅寺屈指の紅葉スポットとしても知ら、白砂と苔、カエデが美しい枯山水庭園や、南北朝時代の池泉回遊式庭園は見もの。墓所には幽斎とその妻・麝香(じゃこう)が静かに眠る。
京都浪漫悠久の物語「天才武将に思いを馳せる旅~長岡天満宮・舞鶴公園・桂林寺・天授庵~」
2023年12月11日(月) よる8時~8時53分 BS11にて放送
京都画報「京のおせち文化」出演:常盤貴子 2023年12月11日(月)よる7時~7時55分 ※内容は変更の場合あり
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(出典:「旅行読売」2024年1月号)
(Web掲載:2023年12月1日)