日本刀の材料「玉鋼」を作る たたら製鉄で栄えた出雲へ(1)【日本刀に導かれ】~「たたら製鉄」とは~
(上)奥出雲たたらと刀剣館/奥出雲町。日本遺産に認定された「出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語」のガイドセンター。日にち限定で日本刀鍛錬実演を見学できる。実物大のたたら炉断面模型も必見
(下左)和鋼博物館/安来市。安来港近くにあり、出雲地方に伝わる鉄の歴史や文化、たたらについての知識を得られる。写真はたたら製鉄で生産された鉄塊で「鉧(けら)」と呼ばれる
(下右)菅谷たたら山内/雲南市。たたら操業をする「高殿(たかどの)」と呼ばれる建物が、操業当時の姿を保ったまま日本で唯一現存。荘厳な雰囲気の建物内で、往時の熱気に思いを巡らせよう
今なお世界で唯一、たたら製鉄の炎が燃え続ける出雲
たたら製鉄とは、砂鉄と木炭を粘土製の炉の中で燃焼させることにより、純度の高い鉄を生産する製鉄法のこと。生産品の中でも特に優れた鋼を玉鋼と呼び、日本刀の原材料として欠かせないものだ。
その歴史は古く、紀元前2000年頃に西アジアで生まれ、古墳時代には日本に伝来。古代には屋外で小規模な「野だたら」が営まれ、次第に大型化。近世では「高殿」と呼ばれる建物の中で固定して営まれるようになり、地下構造や炉に風を送る鞴(ふいご)なども大型化し、生産力が向上。江戸時代、良質の砂鉄が豊富にとれた山陰地方で大いに栄えた。
しかし、明治になって西洋から安価な洋鉄が輸入されるようになると、洋式高炉による製鉄が本格化し、大正末期の1923年にたたら製鉄は廃業に追い込まれた。戦前、日本刀鍛錬会のもとで島根県奥出雲町にて「靖国たたら」として復活したが、終戦とともに操業は途絶えていた。
たたらの操業が止まるとやがて玉鋼が払底し、日本刀が作れなくなる。そこで文化庁後援のもと、(公財)日本美術刀剣保存協会が「靖国たたら」の跡地を「日刀保(にっとうほ)たたら」として1977年に復活させた。同時に文化財保護法の「選定保存技術」に選定され、国の保護のもとで技術が伝承されている。現在は冬季に3回ほど操業(非公開)。生産された玉鋼は全国の刀匠に頒布され、文化財保護に貢献している。
玉鋼を作る「たたら製鉄」とは
【玉鋼ができるまで】
❶炉(釜)を造る
たたら製鉄に使う炉は粘土で造られ、高さ約1メートル、幅0.7メートル~0.9メートル、奥行き約3メートル。さらに炉の下の地下には、高温維持と除湿のために、深さ約3.5メートルの地下構造が築かれている(写真① )。炉は操業のたびに築き直される。粘土の選定から炉造り、操業までを指揮するのが村下(むらげ<技術長>)で、その重要さは「一土、二風、三村下」と言い表されている。
❷三昼夜、砂鉄と木炭を投入
炉の中いっぱいに詰められた木炭に火を付け、村下の見極めで砂鉄を投入。木炭と砂鉄はほぼ30分おきに炎の様子を見ながら投入される(写真②)。やがて「ノロ」と呼ばれる不純物が排出され(写真②の下部の穴が「ノロ」の排出口)、炉の下部で玉鋼の元である鉧ができてゆく。鉧が十分に育つまで、三昼夜にわたって砂鉄と木炭を投入する。
❸鉧を取り出す
4日目の朝、村下の指示で炉を壊し(写真③ )、鉧を外へ引き出す(写真④)。約10トンの砂鉄を使ってできる鉧は約2トンほど。屋外へ引き出して冷まされた鉧は、割られて、いくつかの等級の玉鋼に分類される。特に良質な「1級A」と呼ばれる玉鋼は、約2トンの鉧から1割程度しか取れない。
文/渡辺貴由
写真/齋藤雄輝
日本刀の材料「玉鋼」を作る たたら製鉄で栄えた出雲へ(2)【日本刀に導かれ】~安来市・奥出雲町~へ続く(3/23公開)
【モデルコース】
<1日目>
米子空港
↓車25キロ
和鋼博物館
↓車33キロ
金屋子神社
↓車5キロ
亀嵩温泉 玉峰山荘(泊)
<2日目>
亀嵩温泉 玉峰山荘
↓車15キロ
奥出雲たたらと刀剣館
↓車2キロ
姫のそば ゆかり庵
↓車33キロ
鉄の歴史博物館
↓車3キロ
菅谷たたら山内
※菅谷たたら山内から米子空港まで40キロ、出雲空港まで80キロ。
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2024年3月号)
(Web掲載:2024年3月22日)