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北川フラム 奥能登珠洲への思い【新幹線で春は北陸へ】

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北川フラム 奥能登珠洲への思い【新幹線で春は北陸へ】

海岸の景色(写真/岡村喜知郎、2021年撮影)

 

2024年1月1日に発生した大地震により能登半島の集落は大きな被害を受けました。17年から「奥能登国際芸術祭」の総合ディレクターを務めてきた北川フラムさんに、開催地である奥能登珠洲への思いを寄稿していただきました。

きたがわ・ふらむ

1946年、新潟県生まれ。アートディレクター。東京芸術大学卒業後、株式会社アートフロントギャラリーを設立。国内外のさまざまな美術展、企画展に関わり、アートによる地域づくりの実践として「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」「北アルプス国際芸術祭」「奥能登国際芸術祭」などで総合ディレクターを務める。朝日賞などを受賞、文化功労者に選ばれる。著書は『越後妻有里山美術紀行 大地の芸術祭をめぐるアートの旅』(現代企画室)など。震災後、奥能登の現状を発信し、支援活動やボランティア活動のサポートをする「奥能登珠洲ヤッサ―プロジェクト」を立ち上げた。

 

北前船の寄港地として栄えた歴史

旅行読売編集部から依頼を受けていた「私の初めてのひとり旅」の原稿を書き出したところ、1月1日に能登半島地震があり、乄切りの今日まで、ルーチンの仕事以外はその対応と気持ちの落ち込みのなかにいたのです。この掲載が北陸特集号ということもあり、今回は奥能登への思いを寄稿いたします。

そもそもの珠洲との関わりは、2012年に2度ほど珠洲の商工会関係者と県議の先生が私の事務所にやって来られて、越後妻有(つまり)や瀬戸内でやっている地域型芸術祭を珠洲市でやれないかと、要請されたのが始まりでした。

手一杯でお断りしていたのですが、その秋の終わり、金沢で講演があった夜、車に乗せてもらって初めて珠洲を訪れました。たまに街灯がある以外ほとんど真っ暗な粉雪舞い散るなか、そのしっかりした佇(たたず)まいは忘れられません。黒瓦と焼き目の入った下見張りの立派な、ほかの海岸線にはない街並みです。その時まで車中で「あれは、何だ?」と気になった経験は広島市の村野藤吾設計の「世界平和記念聖堂」とフランスのリヨン駅の2度だけでした。

珠洲の場合、日本海に面したこの半島は大陸に近く、古くは遣唐使、渤海使(ぼっかいし)が漂着し、あるいは北前船(きたまえぶね)の寄港地として全国から人が寄る殷賑(いんしん)を極めた街の骨格だったことをのちに知り、納得したものです。

夏から秋にかけてほぼ連日、100を超える集落で催されるキリコ祭り、燈籠山(とろやま)祭りやその夜の誰でもが客としてもてなされるヨバレの風習も、この地政学的な特質によるものだとわかってきました。17年と21年、昨年の3回にわたってそれぞれ約50日間、奥能登国際芸術祭が開催されました。私はおそらく300回ほど飛行機や電車や車を使い、かつまた地域を歩くなどで通ったと思いますが、そのすべてが仕事だったわけではないことに気付くのです。

奥能登国際芸術祭のサポーターと北川フラムさん(右端)(2023年撮影)

最涯(さいはて)が持つ豊かさと煌めき

アーティストたちも外浦(そとうら・禄剛崎<ろっこうさき>を境に日本海に面した沿岸部)、内浦(うちうら・富山湾に面した沿岸部)の海岸沿いをいわば岬巡りの楽しさで回り、山が海にまで張り出してきてストンと落ちることによる里山、里海の生活の豊かさが増幅する特質を活かしたり、そのわずかばかりの海岸線で守られてきた揚浜(あげはま)式の塩田(えんでん)の見事さや、塩田の砂を掘り運ぶ際に唄われた「砂取節(すなとりぶし)」をテーマに選んだりしました。

また海辺の漁網(ぎょもう)倉庫や船倉を使い、漁網を材料にした展示が行われ、他所(よそ)から流れ着く漂流物や、遙(はる)か遠い国からやってくる文化、貴種を大切にする風習・信仰をテーマにした作品も作られました。また海に山が屹立(きつりつ)する地形は「アエノコト」(田の神を家に迎えて饗応する奥能登地方の農耕儀礼)に代表される古くからの豊穣儀礼を守り続けてきたことにつながり、それらもアーティストの幻視を生んだように思われます。

塩田千春「時を運ぶ船」(写真/岡村喜知郎)(c)JASPAR,Tokyo,2024 and Chiharu Shiota

私もそれぞれのアーティストや、その作品を見て回った旅行者と同じように、国土面積世界62位でありながら、海岸線の長さは世界6位という日本列島の特質が濃厚に積層されたこの土地を楽しんで歩いたのだと思います。そういえば作家の角田(かくた)光代さんも青年時に彷徨(さまよ)ってここに来たことがあると、禄剛崎の灯台を見て思い出したと語っておられましたが、それこそ最涯が持っている豊かさと煌めく光波の力だったかもしれないのです。

会期中の様子 見附島(写真提供/奥能登国際芸術祭実行委員会、2023年撮影)

今回の震災で、何もできない無念さのなかでも、やれることや今後の準備をしてきましたが、やはり無力感はどうしようもない。それでも送られてくる写真や報告、テレビを見ていて、その大変な避難所の現場で助け合い、辛抱しておられることが伝わってきます。中世以来の地域共同体が生きている。そこで知れるのは人と人との親しみのある立居振舞(たちいふるまい)なのです。

私にとって奥能登珠洲はそういう地域と結びついた人間の土地でした。昨年の芸術祭で珠洲を回った5万人ほどの人たちは珠洲を単なる地名とは思えず、震災後の問い合わせや助力の申し出はそれぞれの人たちの体の一部のような心の寄せ方で、今も続いています。それがどうなっていくか、私の体の一部にもなっている珠洲の再生を願っています。

文/北川フラム(アートディレクター)


奥能登国際芸術祭とは

能登半島の先端、石川県珠洲市全域を会場として3年に1度開催される国際芸術祭。過去2017 年、21 年、23年の3度開催された。副題は「最涯の芸術祭、美術の最先端」。昨年は14の国と地域から59組のアーティストが参加した。

(出典:「旅行読売」2024年4月号)
(WEB掲載:2024年4月17日)


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