たびよみ

旅の魅力を発信する
メディアサイト
menu

港町の酒場をひとりさまよう 八代亜紀と函館と釜石(1)【ひとり旅】

場所
> 函館市、釜石市
港町の酒場をひとりさまよう 八代亜紀と函館と釜石(1)【ひとり旅】

函館港の夜景。後ろは箱館山

 

はしもとかつひこ

1945年生まれ。84年『線路工手の唄が聞えた』(宝島社)で第15回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『森に訊け』(講談社)ほか自然環境取材で世界を一周。『農が壊れる』(同)では日本列島を縦断取材。『団塊の肖像』(NHKブックス)、『あの歌この街』(旅行読売出版社)など、著書多数。

 

八代亜紀の歌が心に染みる夜

八代亜紀が死んだ(享年73歳)。なんとも悲しい。私はたいそうなファンとは言えなかったが、たとえば酒場で「雨の慕情」が流れれば〝雨々ふれふれ〟とあの振りをして、小さく口ずさむこともあった。八代亜紀は元気に年をとっていくはず。年をとった彼女もいいはず。まさか、こんなに早く旅立つとは思っていなかった。部屋でひとり、ベストアルバムのLPをかける。聞くほどに、歌がしみてきて、私にとっての八代亜紀の情景を思い出す……。

函館駅前の安酒場、カラオケもやる飲み屋がそうだった。

私の仕事は旅が多い。が、取材先ではなかなかゆっくり過ごせない。ところが、数年前の函館取材では翌日がぽっかり空いた。うれしい、明日は休みだ。私は暗くなり始めた街に出た。

函館は港町、どこかに「舟唄」に出てくるようなうす暗いバーはないかと、港の近くをぶらぶら歩いた。朝市の通りは朝が早いから夜も早い。飲み屋はあまりなさそうだった。

海岸沿いにはホテルが立ち並び、ロビーなんかには静かなラウンジもあるはずだが、もう少しこぢんまりした店がいい。

私の行きたい店は暗い路地にぼんやり明かりが灯(とも)り、看板も出ていないような地元の店だった。

路面電車の音につられて、市電通りに出た。私の育った街にも市電が走っていた。この音だ。ああ、懐かしい。市電が走る音になんともいえない郷愁を感じ、思わず来た電車に乗った。終点の函館どつく前まで行き、そこからぶらぶら戻る道すがら、いい店がみつかるかもしれない。

函館どつく前はうす暗く、どうも酒場など見当たらない。市電通りを背にして、海の方へ歩く。海は町の明かりを映していた。静かな海面に反射する濡れた光。ぼんやり見える赤レンガ倉庫。しばらく歩いて市電通りの方に戻り、また店を探すが、どの店もしっくりこない。

函館市地域交流まちづくりセンターの前を走る路面電車

路地裏の安酒場のひととき

結局、函館駅前まで戻って来てしまった。猛烈に空腹だった。駅前広場の向かい側に大きなラーメンの幟(のぼり)を見つけ、ドアを開けた。中に入ると、どうもラーメン屋とは少し雰囲気が違う。向かいのカウンターの客は、煮物を食べながら酎ハイを呑んでいる。よく見ると、カラオケの機械があり、店の隅っこに小さなステージまである。

果たしてラーメンの味は大丈夫だろうかと、少し不安になったが、塩味の函館ラーメンは一級品だった。うれしくなってビールを頼むとサービスにイカ刺しは出るわ、漬物は出るわ……調子に乗ってウイスキーの水割りまで注文することになった。

その店で、函館のおばちゃんの歌う「港町絶唱」を聞いたのだった。「舟唄」を聞いたのだった。おばちゃんは半ば投げやりに歌う。それがよいのだった。あと、いい加減に海峡の歌をリクエストして函館の、あるいは港町の恋の歌を聞いた。投げやりなおばちゃんの声の調子がよいのだ。昭和歌謡曲の基調は投げやりである、と確信した。

お客さんは地元の人ばかり。歌の合間に世間話になった。半年前に駐車場で旦那を蹴飛ばして別れてきたという50代とおぼしき女性の話にみんなで拍手喝采(かっさい)。武勇伝をさかなにわいわいと飲んだ。

文/橋本克彦

港町の酒場をひとりさまよう 八代亜紀と函館と釜石(2)【ひとり旅】へ続く(6/8公開)


(出典:「旅行読売」2024年5月号)
(Web掲載:2024年6月7日)


Writer

橋本克彦 さん

Related stories

関連記事

Related tours

この記事を見た人はこんなツアーを見ています