旅行ライターの「泣けるひとり旅」6選(2)
駅にて(写真/ピクスタ)
ひとり旅の道中で、ふと涙がこぼれそうになったことはありませんか?涙腺を刺激するのは、絶景であったり、人との出会いであったり、思い出であったり。気ままなひとり旅では、感情の振れ幅が大きくなるのかもしれません。泣いたり、笑ったり。弊誌に執筆しているライターの皆さんに、泣きたくなった旅を教えてもらいました。
平和と日常のありがたさに思わず涙
児島奈美✕(原爆ドームとお好み村 ◉広島)(神戸ルミナリエ ◉兵庫)
広島は市内の繁華街や厳島(いつくしま)へ訪れても、原爆ドームへは行ったことがなかった。だから外国人旅行者から「日本では広島へ行きたい。原爆ドームを見て平和の貴さを感じたいから」と言われた時、恥ずかしくなり、その後すぐに訪れた。間近で見ると、写真では分からなかった、床に残るガレキの残骸の痛々しさを知ることに。戦争の悲惨さを痛感しながら、広島へ来たので定番グルメ、広島風お好み焼きを食べて帰ろうと「お好み村」へ。焼き上がりを待ちながら、知らない人同士が一つの鉄板を囲んで笑顔で食べる様子を見て、平和のありがたさが心に染み入り、涙がホロリとこぼれた。
神戸出身者として、阪神・淡路大震災を追悼する光の祭典「神戸ルミナリエ」も忘れられない。1995年の震災時は岡山に住んでいたので被害に遭わなかったが、神戸は親戚が多く住むため、1週間後に食料を持って訪れた。到着した夜、100万ドルの夜景と称される街が真っ暗でショック……。初めてルミナリエを見た時、その暗闇が思い出され、光のありがたさに涙が止まらなかった。
こじま・なみ●兵庫県神戸市生まれ。学生時代にバイクで、信州・九州・北海道を巡り、旅の素晴らしさに目覚め、旅ライダーから旅ライターに。国内外問わず取材・撮影し、41か国に渡航。地域活性化やインバウンドにも貢献。
大使が愛した湖の絶景に浮かぶ宿
野水綾乃✕(ホテル湖上苑 ◉栃木)
明治から昭和初期にかけて、奥日光の中禅寺湖畔には各国の大使館をはじめ多くの外国人別荘が建てられた。「英国大使館別荘記念公園」のように、いくつかは観光施設として開放されてもいるが、実際に泊まって彼らの愛した佳景を追体験できる宿は、おそらくここ以外にない。大使の個人別荘跡を大正時代から宿にする「ホテル湖上苑」は、新規で建てるのは難しいと思えるほどの湖ぎわにある。
おすすめは、「訳あり部屋」とも呼ばれている客室「小波」。トイレも洗面もない簡素な6畳一間なのだが、ひとり旅にはコンパクトさが妙に居心地いい。なによりどの部屋よりも湖に近く、テラスは湖上に突き出すような造りをしている。対岸の山並みと穏やかな湖が織り成す雄大な風景が目の前に広がる。明治の外国人たちも眺めていたであろう変わらぬ景色が、ただただ時を忘れさせてくれる。
日光湯元から引き湯するエメラルドグリーン色の硫黄泉の風呂や、名物料理のニジマスの唐揚げがメインのディナーも素晴らしい。そしてどこにいても湖の絶景がそばにあるのがうれしい。
のみず・あやの●1973年、栃木県生まれ。温泉と旅のライター。温泉ソムリエアンバサダー。現在も栃木県在住で、地元の魅力をさまざまな媒体で発信している。
初めての沈下橋の風景とツガニの味
星 裕水✕(四万十川 ◉高知)
学生時代、30年近く前の話だ。笹山久三(きゅうぞう)の自伝的小説『四万十川』に興味を持ち、舞台となった高知県西土佐村(現在の四万十市)へ、作品および著者のルーツを探しに出かけた。横浜からのひとり旅。土讃(どさん)線の窪川で予土(よど)線に乗り換えて中流域の江川崎を目指す。小説の描写の通り、四万十川が蛇行していることが車窓からでもよく分かる。欄干のない沈下橋を見たのもこのときが初めてだ。
宿泊したのは川沿いの民宿。川で捕れるというツガニ(モクズガニ)を食べた。甘く煮付けてあり、海のカニしか知らなかった自分には衝撃的だった。宿主のおじいちゃん、おばあちゃんの人柄を慕う常連も多く、自分も結婚してからは夫や友人を連れていった。この後さらに取材や研究のために再び西土佐へ出かけることになるとは夢にも思わなかった。すでに宿主夫妻は亡くなり、民宿は譲渡されたようだ。
四万十川。今考えると、自分探しの旅だった。川の名を聞くだけでいろいろな思いがあふれて泣きそうになる。予土線から眺める四万十川は美しい。ぜひ訪ねてほしい。
ほし・ひろみ●旅行ジャーナリスト・編集者。神奈川県横浜市出身。1998年からフリーランスに。国内・海外の旅行ガイドブック、交通関係書籍(鉄道、航空、クルーズ)などを数多く手掛ける。主な著書に『絶景の空旅』(小学館、共著)。
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2024年5月号)
(Web掲載:2024年6月24日)