18年ぶりに公開される二条城本丸御殿
獰猛な虎の絵が描かれた二の丸御殿の遠侍(控室)
世界遺産「元離宮・二条城」は、1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍・徳川家康が天皇の住む御所の守護と、上洛の際の宿泊所にするために築城した。後に3代将軍・家光が後水尾(ごみずのお)天皇行幸のために大規模に改修し、二の丸御殿(国宝)は狩野探幽の障壁画や多彩な欄間彫刻、飾金具で装飾され、豪華絢爛な空間となった。また15代将軍・慶喜(よしのぶ)による大政奉還の表明の場となったことは、日本史上で大いに知られるところだ。
大政奉還後、城内に新政府の太政官代が置かれ、1884年には皇室の別邸「二条離宮」となる。後に京都御所にあった桂宮御殿が移築され、本丸御殿となった。そのため、二条城には徳川幕府の威厳を象徴する二の丸御殿と、皇室ゆかりの本丸御殿の二つの御殿が存在することになった。二条城が現在「元離宮・二条城」と呼ばれているのは、天皇家の別荘である離宮として、昭和の初め頃まで使われていたからだ。
その本丸御殿が今年3月末に本格修理を完了し、9月1日から18年ぶりに一般公開が開始される(事前予約制)。江戸時代の宮家の住宅建築は全国でもほとんど残っておらず、当時の生活空間を知ることができる貴重な遺構として、国の重要文化財に指定。建物は玄関、御書院、御常(おつね)御殿、台所及び雁(かり)の間の4棟で構成される。御殿の中心にある御書院は一の間、二の間、三の間などからなる接客を目的とした建物で、三の間は畳を取り外すと能舞台になる仕組みだ。公家の接客に能が密接に関わっていたことが分かる。一方、御常御殿は政務を行うための「松鶴の間」、休息するための「雉子の間」など日常を過ごす建物。2階は眺望のいい数寄屋風の座敷が設えられている。
本丸御殿に現存する障壁画は全部で237面あり、部屋の格式や用途に合わせた画題が描かれた。絵師の多くは御所の障壁画制作にも参加した精鋭で、狩野永岳が描いた「松鶴図」は圧巻。二の丸御殿と本丸御殿を見比べて、武家と宮家の違いを楽しみたい。