京丹後市の神話と伝説にふれる
日本海を望むように立つ間人皇后母子像
京都府の最北部、京丹後市には数多くの神話や伝説が語り継がれている。
丹後町間人(たいざ)の後ヶ浜(のちがはま)には、周囲約1キロの玄武岩の一枚岩「立岩(たていわ)」を眺めるように、聖徳太子の母・間人(はしうど)皇后と幼少期の聖徳太子の母子像が立つ。皇后は大和政権で起こった蘇我氏と物部(もののべ)氏との争乱を避け、この地に身を寄せた。大和の国に帰るときに、村人たちへの礼にと、自身の名「間人」を贈ったといわれる。畏(おそ)れ多いと感じた村人は、皇后が退座したことにちなみ、読み方を「たいざ」としたそうだ。それが現在の地名の由来だという。また立岩には聖徳太子の異母弟・麻呂子(まろこ)親王率いる討伐隊が、3匹の鬼を退治し、この岩に閉じ込めたという伝説が残る。今でも風の強い日や波の高い夜などは、鬼の泣き声が聞こえるとか。丹後町宮にある天皇家ゆかりの竹野(たかの)神社には、鬼退治を伝える絵巻物が残されている。
網野町磯地区には静御前の言い伝えが残る。この地で生まれた静御前は指折りの白拍子(しらびょうし<歌舞>)で、舞の姿を源義経に見初められて側室になった。平家滅亡後、兄・頼朝に追われた義経と生き別れて出家し、故郷で夫の無事と子の冥福を祈ったという。高台には静御前の木像を祀った小さな静神社があり、奥には踊り舞台を模した展望台が設置されている。日本海を望み、義経と静御前ゆかりの「入艘(にそ)の浜」や「泣き別れ岩」などを見渡せる。
網野町浅茂川地区には、浦島太郎伝説が伝わる。浅茂川漁港に隣接した小さな丘にあるのが、浦島太郎こと水江浦嶋子(みずのえのうらのしまこ)を祀る「嶋児(しまこ)神社」だ。境内には亀にまたがる浦島太郎の石像が建ち、付近には竜宮城から帰り着いたという万畳浜や、乙姫を祀る福島神社がある。
「昇龍伝説」が伝わるのは久美浜町。鎌倉時代、干ばつで苦しんでいた村人のために一遍上人が念仏を唱えたところ、大明神岬から龍が天に昇り、雨を降らせたといわれる。以来、龍は久美浜町の守り神とされ、「豪商稲葉本家」では豪壮な建物とともに、伝説にちなんだ「双龍図」が観賞できる。