歴史と芸術に彩られるポーランド(1)
人魚像が置かれた旧市街広場。右手に剣を、左手に盾を持つ勇壮な姿は、ワルシャワの守護神としての役目を示しているかのようだ
ワルシャワ 破壊から復興へ立ち向かう市民の心意気
世界遺産にも数多く登録されている中世の街並みが美しい国、ポーランド。そこに秘められた数々の歴史を紐解けば、さらに惹きつけられてしまうに違いない。首都ワルシャワを始め、古都クラクフや絶景の港町グダニスク、山岳リゾートのザコパネなどを訪ね歩いた。
突如、けたたましいサイレンが鳴り響いた。
「ウ〜、ウ〜!」
ポーランドの首都・ワルシャワを歩いていた時のこと。それを合図に、道ゆく人々が一斉に立ち止まり、首をもたげて黙とうを始めた。そのまま歩いていたのは、サイレンの意味を知らない観光客ばかり。目の前で繰り広げられたこの光景に、思わず目をパチクリさせられた。
毎年8月1日の午後5時ちょうどにワルシャワで行われるこのセレモニーは、1944年8月1日に起きたワルシャワ蜂起に由来する。当時のポーランドは、ナチスドイツの占領下にあったが、ポーランド側の抵抗組織である国内軍の蜂起の始まりの日であった。
結果としては、多大な損害を被って失敗に終わったものの、その抵抗の記憶を忘れないためにとの思いが、このサイレンに込められていたのだ。15〜20万人もの市民が犠牲になり、市内の建物の9割が破壊されたという、その悲しみを噛み締めるという意味合いもあったのだろう。
「幼い蜂起兵」と名付けられた子どもの兵士像の前で、若い地元の女性が説明してくれた。「少年兵まで、銃を手にして立ち向かっていったと言い伝えられることもあるんですよ」。あまりにも痛々しい戦争の記憶だ。
では、それから80年が過ぎ去った今はどうか?かつて廃墟のようだった旧市街のどこを見渡しても、レンガ造りの豪壮な中世風の建物群が連なっている。爆撃によってことごとく打ち壊されたなど、とても信じられないほど見事な街並みである。
再建に際してのスローガンは、「ヒビの一本に到るまで、忠実に元の建物を再現すること」だったとか。その信念通り、崩壊前の写真などを頼りに復元がなされた。再建にかける人々の熱意と努力には、敬服するばかりだ。
ワルシャワ歴史地区が80年に世界文化遺産に登録されるにあたって、破壊から復元された文化財に価値を見出すかどうかで議論になったというが、「復元されたからこそ登録に値する」との意見が通り、「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価されて登録されたという経緯もあった。その歴史を踏まえて街を歩いてみれば、より一層、感慨深いものになるに違いない。
街歩きのスタート地点は、旧市街の北に位置する砦のバルバカンだ。この丸い頑丈な城門が、旧市街への入り口である。城門をくぐれば、一気に、14〜15世紀の中世へと迷い込んだ気分に。ワルシャワのシンボルともいうべき人魚像が見守る旧市街広場も近い。広場はシックな建物に囲まれ、重厚感に溢れている。
「ねえ、この人魚、剣と盾を手にしているわよ」との観光客の驚きの声を耳にして振り返れば、広場中央に置かれた人魚像は、いかにも勇ましい。この街の歴史を鑑みれば、むしろ、その方が相応しく思えてきそうだ。
さらに入り組んだ路地を伝って南下していけば、かつてポーランド王の住まいであった旧王宮に到着する。オレンジ色に照り輝くこの壮麗な建物は、博物館として公開されているので見学しておきたい。
旧王宮前に広がる王宮広場、その中央の石柱の上にから見下ろしているのが、首都をクラフクからワルシャワへと移したジグムント3世である。それを仰ぎ見ながら、さらにクラクフ通りを南下していけば、ショパン像が置かれたワジェンキ公園へとたどり着く。ここからはショパンゆかりの地巡りが始まるが、それは後日のお楽しみということにしたい。
文・写真/藤井勝彦
歴史と芸術に彩られるポーランド(2)へ続く(後日公開)
<旅のインフォメーション>
■交通/羽田あるいは成田からワルシャワへはヘルシンキなどを経由して行くのが便利、飛行時間はトータル約14〜15時間
■時差/日本より8時間(夏季は7時間)遅れ
■ビザ/観光目的の場合、90日以内の滞在であればビザは不要。ただし、入国時にパスポートの残存有効期限が3か月以上残っていることが必要
■通貨/ズウォティ(zt)1ズウォティ=38円(2024年10月6日現在)
■気候/ワルシャワの年間平均気温は夏季約18.3度、冬季約−3度
■問い合わせ/ポーランド政府観光局info.jp@poland.travel
公式ホームページはhttps://www.poland.travel/ja