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【いま、会える昭和】思い出は人それぞれ!みんなの昭和レトロ

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【いま、会える昭和】思い出は人それぞれ!みんなの昭和レトロ

あなたにとっての「昭和」は、どのようなモノ・コト・ヒトですか?

時代もジャンルも幅広い「昭和レトロ」の数々を、「旅行読売」の制作陣がお届けします。あなた自身の「昭和」と重ね合わせ、さまざまな「昭和」を巡る小旅行に出かけましょう。

 駄菓子屋で粉末ジュースを 

幼稚園の頃は、水で溶いて作るオレンジやコーラ風味の粉末ジュースがごちそうだった。駄菓子屋には小袋が売られていて、こちらは外を歩きながら少しずつ舐(な)めて楽しむ。ラムネサイコロキャラメル目当てに、10円玉を握りしめて駄菓子屋に通ったものだ。

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 路上が遊び場だった 

3~4歳の頃は、隣近所の子どもたちが自然に集まり、コンクリートの道路にろう石(チョークのような筆記具)でそれぞれ絵を描いたり、輪っかを描いてケンケンパみたいなゲームもした。玄関のすぐ前にゴザを敷いて、おもちゃの食器でままごと遊びもしたっけ。

 遊園地だったデパートの屋上 

1960~70年代、デパートの屋上には多くのアトラクションがあった。動物型の乗り物にまたがり、父が小銭を入れるとパカパカと動き出す。それがうれしくてたまらなかった。コーンカップに回し入れて作るソフトクリームを初めて食べたのも、屋上の売店だった。

(元編集部・T)


 ステレオがやってきた 

小学生の頃、音楽好きでもない父が突然ステレオを購入。設置したのはいいけれど、レコードがない!あわててレコード店で買ってきたのが、小椋佳のアルバムとドラマ「太陽にほえろ!」のサウンドトラックでした。良い音でした。その後どこへ行ったかは不明です。

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 消えたボーリングブーム 

初めてボーリングをしたのは、家族旅行で訪れたホテルに併設のボーリング場でした。中山律子さん全盛の頃です。学生時代に通った東京ボウリングセンターは日本初の本格的なボーリング場だったと、この稿を書くにあたって知りました。球の重みがよみがえります。

 駅弁で「峠」の字を知る 

小学校の授業参観で「峠」という字をどうやって覚えたかを聞かれ、「旅行の時に買ってもらった『峠の釜めし』で覚えました」と答えたら大爆笑。母は「恥ずかしかった」と言いますが、駅弁だって漢字の勉強に役立っていたのです。駅での立ち売り風景も思い出です。

(元編集部・W)


 スーパーヒーローは永久です! 

長嶋茂雄の引退試合が野球に関する初めての記憶だ。小学1年生の私は、早速仲間に呼びかけて神社で草野球を始めた。3年後には王貞治の756号の世界新記録に熱狂し、テレビの前にラジカセを置いて歴史的瞬間を記録。「ON(オーエヌ)」は永久に私のスーパーヒーローだ。

 超特急で夢見心地 

子どもの頃、「夢の超特急」というフレーズがまだ健在だった。小学校では、「新幹線に乗った」というのが自慢になった。初乗車は祖父の葬儀のため家族で大阪へ行った時。新横浜駅で0系の扉がスムーズに開き、足を踏み入れた瞬間の興奮は今も忘れられない。

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 DCブームに踊る 

ファッションに目覚めた学生時代は、DCブランドのブームの渦に飛び込んだ。BIGIKENZOY's―。お年玉で懐が豊かになると、丸井やパルコのバーゲンで行列するのが恒例だった。加齢とともに服装に気もカネも使わなくなり、今は「洋服の◯◯」の常連だが。

(編集部・Y)


 ファミコンが遊びを変えた 

子どもの頃に流行(はや)ったものといえば、ファミコン。この家庭用ゲーム機の始祖の求心力は圧倒的で、家で遊ぶことが多くなった。大量の少年コレクターを生んだビックリマンチョコシールのブームも懐かしい。駄菓子屋を回って箱買いする金持ちの子が羨(うらや)ましかった。

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 BGMは安全地帯 

親戚の家など遠方に家族でドライブする車中は、カセットテープの曲をエンドレスで再生し続けるのが当時の定番で、母が好きな安全地帯がずっと流れていた。「恋の予感」「ワインレッドの心」などの艶(つや)っぽい歌詞に、分からないなりに大人の世界を感じていた気がする。

 角川映画で見た世界 

父に連れられて近所の映画館に行き、2本立て映画を見た80年代。「グーニーズ」などの洋画とともに、邦画は角川映画のヒット作「里見八犬伝」に衝撃を受けた。死んでいく八犬士や妖怪の呪いなどの暗い世界観が軽いトラウマになったが、映画好きになるきっかけに。

(編集部・F)


 「りぼん」か「なかよし」か 

女子小学生の間では「りぼん」派か「なかよし」派に分かれていましたが、私は「りぼん」派。「ときめきトゥナイト」で運命の恋に憧れ、「有閑倶楽部」の絵のうまさに舌を巻き、「お父さんは心配性」でゲラゲラ。華やかな付録も楽しみで、発売日が待ち遠しかったなぁ。

 飾り立てたくなるモノ 

かつてはダイヤル式電話機の本体と受話器に、メルヘンチックなカバーが付いていましたよね。特別なモノを飾り立てて、大切に使おうという気持ちの表れでしょうか。お正月、フロント部分にミカン付きのしめ飾りを付けた車も最近、とんと見かけなくなりました。

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 お笑いがいつもそばに 

土曜に半ドンの授業を終え帰宅すると、テレビ番組「ノックは無用!」か「吉本新喜劇」を見ながらお昼ご飯。日曜午後は、オール巨人・阪神、今いくよ・くるよ、トミーズ、ハイヒール、非常階段らの漫才を見て“しゃべくり”を研究。クラスでも“おもろい子”が人気でした。

(編集部・N)


 カリーナは“足のいいやつ”

3歳の頃、トヨタのカリーナが我が家にやってきました。あのカクカクしたデザインのセダンタイプが、私にとってのファミリーカーです。「カローラよりクラスが上」の車を選んだ父ですが、家族でスキー旅行に出かけるようになると、前輪駆動車に乗り換えることに……。

 ニュータウンとマンモス校 

子どもの頃はニュータウンに住んでいました。小学校は生徒1200人超のマンモス校。通学路沿いに団地が林立し、学校へ続く極太の歩道橋を大量の児童が渡っていきました。団塊ジュニアが見た、昭和の光景です(令和のタワマン付近にマンモス校が出現したとか)。

 銭湯で始まる井戸端会議 

祖母の家に泊まると、近くの銭湯に行くのが楽しみでした。記憶に残るのは脱衣所のくつろいだ雰囲気です。お釜型ドライヤー、もみ玉がむき出しのマッサージ機、近所のおばちゃんとの会話、風呂上がりの1本……。オロナミンCのおいしさを知ったのも銭湯でした。

(編集部・U)

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(写真/すべてピクスタ)


※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:旅行読売2025年5月号)
(Web掲載:2025年10月24日)


Writer

たびよみ編集部 さん

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