薬からガラスへ紡がれた 滋味深い食、まち 富山まちなかめぐり【富山県富山市】<前編>
松川を覆うように桜が咲く中を進む松川遊覧船
歩いて食べて話を聞くほどに味わいが深まるまち“富山市”
「滋味深い」とは「栄養があって、味わいが豊か」であること。富山市は北陸新幹線で東京から約2時間。日帰りも可能で訪れやすく、歩いて食べて話を聞くほどに味わいが深まるまちだった。
富山駅から徒歩10分、市街地の中心に立つ富山城のほとりが春、華やかに彩られる。松川の両岸に約530本の桜が咲き誇り、桜のトンネルを作る。屋根のない船で満開の桜の下をクルーズできるのが松川遊覧船だ。店長の中村珠太さんは「手が届くような高さに両岸の桜が咲くのは全国的にも珍しい。船頭によるガイドもお楽しみに」と話す。
遊覧船が発着する松川茶屋では4月下旬以降、和菓子作り体験ができる。市内の老舗和菓子店「菓子匠平安堂」の和菓子作り体験キットの数種類のモチーフから選ぶ。イラスト付きの手順書があるので、多少不格好でもなんとか形になった。抹茶パフェや白玉団子などスイーツが充実しており、遊覧船に乗る前か後に一服しよう。

抹茶アイスやゼリーの上に富山城をかたどった最中がのる富山城抹茶パフェ950円
松川茶屋に滝廉太郎記念館が併設されている。「荒城の月」の作曲で知られる滝廉太郎がなぜ富山に、と思ったが、県の書記官(副知事に相当)として赴任した父とともに7歳から約2年間を富山で過ごしたという。少年時代を過ごした富山の風土が後の作曲にどのような影響を与えたのだろうか。「荒城の月」のイメージの一つが富山城であるかもしれないことは興味深い。
富山城は1543年、神保長職(ながもと)が築城し、戦国時代は上杉謙信や佐々成政など目まぐるしく城主が変わった。江戸時代になると加賀藩前田家の分家が治めた。明治維新後に廃城となり、現存する建築物は本丸の東にある総欅造りの千歳御門のみ。天守に相当する建物は富山市郷土博物館として、富山城の歴史を紹介している。石垣は時代によってさまざまな形や積み方を見ることができる遺構だ。

2004年に国の登録有形文化財となった富山城(富山市郷土博物館)
路面電車に乗って西町へ移動する。路面電車は市街地を周回するように走っているので、市内観光に便利。西町から東へ3分ほど歩くと白壁がまぶしい池田屋安兵衛商店が見えてきた。看板に記された「反魂丹(はんごんたん)」は江戸時代に製造された「薬都とやま」を代表する薬で、現在は胃腸薬として売られている。店内にはさまざまな薬が並び、かつて使われた丸薬製造機もあり、丸薬を作る体験ができる。2階は薬膳レストランで、コース料理を味わえる。薄味ながら手作りで素材の良さが伝わり、体に滋味がしみ込むようだった。

路面電車の富山駅ホームはJRの高架下にあるので、スムーズに乗り換えられる

戦災後の1946年に再建した市街地では最も古い木造建築である池田屋安兵衛商店

黒米の山菜おこわや高麗人参と鶏団子のスープ、南瓜茶巾絞り山かけ、甘海老とキノコのココットなどの健康膳(3300円)
路地を入ったところにある島川あめ店は創業1663年の老舗。砂糖を使わず麦芽で甘みを出した麦芽水飴は、今も変わらぬ製法で2日かけて炊き上げている。丸薬のつなぎや苦みの緩和に麦芽あめが使われていたという。思わぬつながりに驚いたが、池田屋安兵衛商店と島川あめ店が至近距離にあるのも納得する。「薬都」だからこその麦芽あめも今は同店のみとなってしまった。

ご主人の晋さんを支え、店を守る島川とも子さん(右)とスタッフ
薬からガラスへ紡がれた 滋味深い食、まち 富山まちなかめぐり【富山県富山市】<後編>へ続く
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(Web掲載:2026年3月1日)
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