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【天下取りの城へ】豊臣秀吉も一目置いた 名将・蒲生氏郷が築城 鶴ヶ城(1)

場所
> 会津若松市
【天下取りの城へ】豊臣秀吉も一目置いた 名将・蒲生氏郷が築城 鶴ヶ城(1)

鶴ヶ城天守。黒川城と呼ばれていた城を、蒲生氏郷の幼名が「鶴千代」だったこと、蒲生家の家紋に鶴が用いられていることなどから「鶴ヶ城」に改名したという

石垣と瓦を用いた東日本では初の本格的な天守

初冬のある日、会津若松駅から鶴ヶ城を目指すと、黄金色に輝くイチョウの向こうに、白壁に赤瓦を冠した天守が見えてきた。広い空を背負って立つ、堂々とした姿が近づいてくる。城下町を訪ねるたび、城のある街に住む人々をうらやましく思う。この地に天守を築き、「鶴ヶ城」と命名したのは蒲生氏郷(がもううじさと)。天守が完成したのは1593(文禄2)年。石垣と瓦を用いた東日本では初の本格的な天守だったという。

氏郷は近江(おうみ)国(現在の滋賀県)に生まれ、後に豊臣秀吉の命により、現在の三重県松阪市に松坂城を築いた人物。賤(しず)ヶ岳(たけ)の戦いや小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦いなどで功を上げ、秀吉の信頼を得ていた。1590(天正18)年に天下統一を果たした秀吉は、「奥州仕置(おうしゅうしおき)」と呼ばれる領土の再分配を行い、氏郷は会津地方に移封された。彼方(かなた)の地へ左遷されたか?とも思ってしまうが、実は大出世。不穏な動きを見せる伊達政宗や徳川家康ら有力大名を監視する重大な役目であり、それができるのは政治手腕と軍事力に長(た)けた氏郷以外にはいないと秀吉は踏んだのだろう。

こうして氏郷は34歳の若さで42万石の大名に。後に92万石に加増され、徳川氏や中国地方の毛利氏、金沢の前田氏に続く石高を誇った。

2.本丸眺望.jpg
天守最上階から本丸方面を望む

4.堀と橋.jpg
本丸と二の丸をつなぐ廊下橋

5.かぶと.jpg
郷土博物館に展示されている氏郷が所持していた燕尾形兜(えんびなりかぶと、模造)

🏯お城豆知識

1384(至徳元)年に葦名(あしな)直盛が東黒川館(やかた)を建てたことが始まり。奥州仕置で減封された伊達政宗に代わって蒲生氏郷が入城。城郭を拡張し、武士と町人を外濠の内外に分離させるなど城下町の体裁を整えた。天守は幕末の戊辰(ぼしん)戦争で砲弾にさらされ、1874(明治7)年に取り壊されたが、昭和期に再建。天守内部は郷土博物館となっている。

文/渡辺貴由 写真/齋藤雄輝

【天下取りの城へ】豊臣秀吉も一目置いた 名将・蒲生氏郷が築城 鶴ヶ城(2)へ続く(3/5公開)


【モデルコース】

会津若松駅
 ↓ バス20分
鶴ヶ城
 ↓ 徒歩15分
興徳寺(蒲生氏郷の墓)
 ↓ 徒歩7分
鈴善漆器店
 ↓ バス10分
鶴我(つるが)会津本店
 ↓ 徒歩4分
会津若松駅

<鶴ヶ城> 100名城

■御城印:あり(300円、2種セット500円)
■入城:天守への入場は8時30分~16時30分/410円(茶室麟閣との共通券520円)/無休
■交通:磐越西線会津若松駅からバス20分、鶴ヶ城入口下車すぐ
■住所:会津若松市追手町1-1
■問い合わせ:TEL0242-27-4005(会津若松観光ビューロー)

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※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:旅行読売2026年2月号)
(Web掲載:2026年3月4日)


Writer

渡辺貴由 さん

栃木県栃木市生まれ。旅行情報誌制作に30年近く携わり、全国各地を取材。プライベートではスケジュールに従った「旅行」より、行き当たりばったりの「旅」が好き。温泉が好きだが、硫黄泉が苦手なのが玉に瑕(きず)。自宅では愛犬チワワに癒やされる日々。

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