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国吉城址(福井・美浜町)

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国吉城址(福井・美浜町)

国吉城址から見た若狭湾


朝倉攻めの本陣になった山城 越前で過ごした光秀は何を思った

若越(若狭・越前)国境の若狭側東端にある国吉城は、越前朝倉氏の侵攻を何度も受け、そのたびごとに撃退してきた難攻不落の山城(城主は粟屋 氏)。ここに織田信長が入城したのは今からちょうど450年前(1570年)のことだった。朝倉義景を討つのが目的だ。

佐柿町奉行所跡に立つ若狭国吉城歴史資料館。この裏手に「国吉城」の遺構が広がる

「ここに陣取ったのは、〝織田軍〞ではなく、徳川家康、池田勝正らの軍勢を含めた〝足利幕府軍〞。信長は3日間滞在しました。おそらく明智光秀も幕府の奉公衆として同行していたと思われます」と解説するのは、若狭国吉城歴史資料館の大野康弘館長。「おそらく」というのは、信長入城の直前、光秀が先遣隊として国吉城手前の熊川(若狭町)に来ていたからだ。

国吉城の土塁

いよいよ始まる朝倉攻めを前に、約10年にわたり越前で亡命生活を送ったとされる光秀は何を思ったか。山道を登ること約30分。到着した国吉城本丸跡で汗をぬぐいながら、眼下に広がる若狭湾を見つめた。

■国吉城とは
若狭の守護大名・武田氏重臣の粟屋(あわや)勝久が1556年に築いた山城。1563年から数年にわたり朝倉氏の攻撃を受けたが、籠城戦で退けた。「続日本100名城」に選定されている。

信長の入城に当たり、粟屋勝久は倉見峠まで出迎えたという。この時の信長らの出陣は、幕府の上洛命令に従わない若狭の武藤氏討伐を名目にしていたが、実際の目的は初めから朝倉義景討伐だった。

■データ
若狭国吉城歴史資料館(国吉城址は資料館裏手) :10時~16時(4月~11月は9時~16時30分)/月曜休(祝日の時は翌日休)、祝日の翌日休、年末年始休/100円/TEL:0770-32-0050/小浜線美浜駅からバス5分、佐柿口下車徒歩5分。または小浜線美浜駅から徒歩25分/舞鶴若狭道若狭美浜ICから国道27号経由4.5㌔

(旅行読売2021年1月号掲載)

(ウェブ掲載2020年12月30日)



Writer

松本浩行 さん

東京都墨田区出身。月刊「旅行読売」編集部勤務から3年間の青森県勤務(読売新聞弘前支局)を経て、2019年11月、月刊「旅行読売」編集部に戻る。これまでに群馬県、石川県、宮城県などでも勤務した経験をもつが、今では「歌手ならりんご娘(ご当地アイドル)、山なら岩木山、果物ならリンゴ」と語る青森推しの編集長。

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