牧野富太郎ゆかりの地をめぐる 【高知県】 <前編>
自らを「草木の精」とし、植物を愛し愛された牧野富太郎。連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルである富太郎が生まれ育った高知へ植物を愛でる旅に行こう。
「日本の植物分類学の父」とされる牧野富太郎。全国各地で採集した植物標本は40万以上、命名した植物は1500を超えるといわれる。東京大学で47年にわたり教鞭をとり、文化勲章を受章した大学者でありながら、94年の生涯は波乱に満ちていた。
東京を拠点とした20代後半以降は、大学でのあつれきや借金による生活苦があったものの、学問への志を失うことはなかった。その土台が造られたのは、高知で思うままに過ごした日々だったはずだ。
佐川(さかわ)町にある富太郎の生家跡で、幼少期に過ごした部屋が再現されている。「岸屋」は造り酒屋の屋号。
9時~17時/月曜休(祝日の場合は翌日休)、年末年始休/無料/℡ 0889-20-9800
富太郎が学んだ土佐藩の郷校。植物に興味を持つきっかけとなった文部省発行の博物図を展示している。
9時~17時/月曜休(祝日の場合は翌日休)、年末年始休/無料/℡ 0889-20-9500(さかわ観光協会)
高知県佐川町の造り酒屋「岸屋」の一人息子として生まれ、幼少期から植物に興味を持ち、観察や採集に明け暮れた。調査のために必要な書籍や顕微鏡は、高くても躊躇なく購入した。
研究への熱心さは東大の研究室への入室が許されるほどで、自費出版に当たっては印刷会社で働いて技術を習得。文章に添える植物図は通常画工が描くが、自ら筆をとり精緻に描写した。
世界が驚いた植物図
植物図はネズミの毛を使った細い根朱筆(ねじふで)を用い、複数の個体を何度も観察したうえで描いた。「牧野式植物図」と呼ばれ、高い評価を得た。
1890年に東京・江戸川区北小岩で発見した水生の食虫植物。花も描いた植物図は世界に驚きをもって迎えられ、富太郎の名を一躍有名にした。