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【47都道府県の秋絶景】昔ながらの飛騨の里山風景 種蔵集落(1)

場所
  • 国内
  • > 北陸・中部・信越
  • > 岐阜県
> 飛騨市
見頃
10月~11月上旬
【47都道府県の秋絶景】昔ながらの飛騨の里山風景 種蔵集落(1)

大切に守られた、石積みの棚田と板倉。現在も20の板倉が残る

 

棚田と板倉の心にしみる風景は写真愛好家に人気

岐阜県の最北端、富山県のほど近くに位置する種蔵集落は、昔ながらの里山の風景が残ると写真愛好家に人気の場所だ。高山線高山駅からレンタカーで1時間ほど。周囲を山に囲まれているせいか、まるで別世界のようにのどかだ。石積みの棚田に木造りの板倉が点在する光景は一枚の絵のようで、しばらく見入った。

この美しい景観がどうやってできたのか知りたくて、飛騨の森ガイド協会、会長の岩佐勝美さんに、集落を案内してもらった。

江戸時代に建てられた板倉が今も残る
集落を案内する岩佐勝美さん。先に見えるのが腐りにくいクリの木だけで造られた珍しい板倉

「主屋は壊しても板倉は守れ。そう言い伝えがあるくらい板倉は大切なものだったんです」と岩佐さん。天災や飢饉(ききん)に見舞われた時のために、穀物や種もみ、農機具や冠婚葬祭に使う家具類など、家の宝をすべて板倉に入れて保管したそうだ。

昔の生活は囲炉裏端が中心なので、万が一火事になった時に延焼しないよう、母屋から離れた場所に板倉を建てたのだという。

板倉の錠前には、財産がたまるようにという縁起を担いで、きんちゃく型などのデザインが施されている

集落の人々が石積みの棚田を造ろうと自ら工事に着手したのは1940年。20世帯以上200人近くが住んでいたが、傾斜のあるこの地域では、田んぼが少なく、農家であっても米のご飯が食べられなかった。そこで白いご飯が食べたいと一念発起、山の向こうの谷から反対側の山の上まで、苦心して水路を引いた。

石積みの棚田は、岐阜県の「ぎふの棚田21選」にも選出

棚田を石積みにしたのは、急な傾斜地でも田んぼにして収穫面積を増やしたかったから。重機などない時代、夏場に山で石を集め、冬場にそりに乗せて運んだ。石積みには専門の技術が必要なので、山仕事や土木工事の仕事で金を工面して石工を頼んだという。戦争を挟んで労働力も乏しい中、10年以上の歳月をかけてやっと完成したのである。

「平成になっても、お年寄りが一生懸命石積みの間の草取りをする姿を見かけました。大変な思いをして作った棚田ですから、必死で守りたかったのだと思います」(岩佐さん)

文/高崎真規子 写真/三川ゆき江ほか

 

【47都道府県の秋絶景】昔ながらの飛騨の里山風景 種蔵集落(2)へ続く


種蔵集落

ココが「絶景」! 山を背にして石積みの棚田に板倉が点在する風景は一枚の絵のよう。朝霧や夕焼けなど時間や天候によって、山々や棚田が刻一刻と姿を変えるさまも美しい。山に囲まれた集落全体を見下ろせる道もあり、まさに日本の原風景に出合える。

交通:高山線飛騨古川駅から車で40分/中部縦貫道高山ICから33キロ
問い合わせ:宮川振興事務所 TEL:0577-63-23

(出典:「旅行読売」2022年11月号)
(Web掲載:2023年9月24日)

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Writer

高崎真規子 さん

昭和の東京生まれ。80年代後半からフリーライターに。2015年「旅行読売」の編集部に参加。ひとり旅が好きで、旅先では必ずその街の繁華街をそぞろ歩き、風通しのいい店を物色。地の肴で地の酒を飲むのが至福のとき。本誌連載では、大宅賞作家橋本克彦が歌の舞台を訪ねる「あの歌この街」、100万部を超える人気シリーズ『本所おけら長屋』の著者が東京の街を歩く「畠山健二の東京回顧録」を担当。著書に『少女たちはなぜHを急ぐのか』『少女たちの性はなぜ空虚になったか』など。

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