【私の初めてのひとり旅】古今亭駒治さん フィラデルフィア(1)
ここんてい・こまじ [落語家]
1978年、東京都出身。大学卒業後、古今亭志ん駒に入門。2018 年、志ん駒死去により、古今亭志ん橋に移門。同年、真打に昇進し、「駒次」から「駒治」に改名。身近な話題をテーマとする自作の新作落語で活躍。鉄道落語を得意とし、寄席以外にも鉄道博物館や鉄道会社、デパートのイベントなどで披露している。著書に落語家仲間との共著「鉄道落語」(交通新聞社新書)がある。座右の銘は「毎日が試運転」。
ロックと米国文化に触れたくて18歳でフィラデルフィアへ冒険の旅
英国のロックバンド、ザ・ローリングストーンズから、ベースのビル・ワイマンが脱退した理由は、飛行機に乗るのが怖かったからだそうだ。その話を知った時、30年以上も世界中を飛び回って、今さら?とも思ったが、彼を好きになった。私も飛行機が苦手だ。
そんな私が、18歳のとき米国に渡った。洋楽が好きで、音楽などの米国文化に触れたいと思ったのだ。後で考えると、どこかに行きたかっただけのような気もする。それは今も同じで、いつも旅に出たくてうずうずしているのに、出かけた先では家が恋しくなる。
ペンシルバニア州フィラデルフィアで日本食レストランを経営している知人を頼った。乗り継ぎをはさんで15時間ほど。食べ物は喉を通らず、一睡もできなかった。着陸前に、日本とは違うオレンジ色の街灯が窓から見えたときは、憧れの場所に来たのだと胸が高鳴った。しかし、到着当日に早くもホームシックになった。きらきらした米国生活を想像していたのに、連れていかれたのはレストランの寒々しい厨房(ちゅうぼう)だった。
定休日の月曜以外は朝から晩までレストランで働いた。月給は寮費を引かれて1000ドルだったと思う。従業員はくせ者ぞろい。生まれも育ちも日本だが、米国暮らしが長すぎて「ボトル」という単語を話し言葉そのままに「バーロー」と書いてしまう60代の女性。ひと目見た瞬間、日本にいられなくなったのだと分かる板前や、オートロックの勝手口で石をはさむのを忘れ、必ず締め出されてしまうアフリカ系の男性。ビザの期限切れで出国すると二度と戻れないため、里帰りができないベネズエラ出身の若者など。18歳の心のキャパはあっという間にオーバーした。
悶々(もんもん)とした気持ちに押し潰されそうになっていたとき、本来の目的を思い出した。社長に相談すると、ミュージシャンの日本人女性を紹介してくれた。これでバリバリの米国に触れられると喜ぶ私が案内されたのは、教会だった。彼女は聖歌隊の指揮者だったのだ。こういうのじゃない!と心で叫んだ。俺がやりたいのはロックなの! ローリングストーンズに会いにきたんだから! そういう私も、ストーンズが英国人だとは知らなかった。
文・写真/古今亭駒治
(出典:「旅行読売」2024年3月号)
(Web掲載:2024年2月28日)