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【私の初めてのひとり旅】町田忍さん オランダ、イギリスほかヨーロッパ巡り(1)

場所
見頃
アムステルダム、ロンドン、ローマ、インターラーケン、ザルツブルグ、ミュンヘン、パリ
【私の初めてのひとり旅】町田忍さん オランダ、イギリスほかヨーロッパ巡り(1)

まちだ・しのぶ[庶民文化研究家]
1950 年、東京生まれ。大学卒業後、警視庁警察官を経て、「庶民文化研究所」を設立。銭湯や手描き看板、食品など100以上の研究テーマを持つ。昭和レトロ全般に詳しく、著書に『納豆大全』(小学館)、『昭和レトロ博物館』(角川学芸出版)など。映画やドラマの時代考証や監修も手がけ、テレビ・ラジオ番組出演も多数。(一社)日本銭湯文化協会理事。

ヒッピーに憧れリュックを背負いヨーロッパへ 何でも見てやろう

今でこそ、海外旅行は国民に定着している。しかし、海外旅行が自由化されたのは、1964年4月。翌65年には日本航空(JAL)が往復運賃とホテル代などをセットにした画期的な「ジャルパック」を発売したが、当時の新聞広告を見ると、ハワイ9日間コースが37万8000円、ヨーロッパ20日間が73万8000円となっている。人事院の資料によると、大卒国家公務員の初任給が1万9610円だったので、かなりの高額商品だったことが分かる。

本題の私のひとり旅は、ヨーロッパ7か国巡りだった。発端は中学時代に見ていた「兼高かおる世界の旅」という番組だった。小田実の『何でも見てやろう』という本の影響も受け、海外旅行に安く行く方法を調べ、ヨーロッパへ行くぞと覚悟を決めた。

72年7月、大学4年の夏休みに決行した。高校・大学時代の7年間で資金を貯た めたが、当時のヨーロッパへの航空運賃は往復で約30万円が相場。その時、良い情報が入った。それは、DC-8という旅客機で乗客150人を自分たちで集めて直接、 JALと交渉して安く飛ぶという団体の企画だった。費用は約18万円。すぐに申し込んだ。羽田発アムステルダム着でいったん解散し、1か月半後にパリで再集合する行程だった。参加者は多種多様だったが、学生も多かった。

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アムステルダムのダム広場。ヒッピーや地元の若者達がギターを演奏するなど熱気が満ちていた

私のひとり旅を語るには、時代背景を説明する必要がある。当時はベトナム戦争が続いており、日本でも反戦デモや学生運動が盛んで大学がロックアウトになることもあった。アメリカで60年代後半に誕生した、平和、自然回帰、脱社会などのユートピアを求める運動が日本でも流行し、「ヒッピー」と呼ばれていた。

私もヒッピーに憧れ、リュックに寝袋を詰めて旅立った。アムステルダムに着くと、世界中からヒッピーが集まるダム広場に向かった。大勢の若者が集まっており、みんなリュックに自分の国の小さな国旗を付けていた。私が付けていた日の丸は人気があり、譲ってくれと言われて断るのに苦労した。最低限の英語のやり取りはできたので、コミュニケーションは成立した。

文・写真/町田 忍

【私の初めてのひとり旅】町田忍さん オランダ、イギリスほかヨーロッパ巡り(2)へ続く(9/6公開)


(出典:「旅行読売」2025年9月号)
(Web掲載:2025年9月5日)


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