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歴史と芸術に彩られるポーランド(4)

場所
> ワルシャワ
歴史と芸術に彩られるポーランド(4)

ショパン像の顔立ちは実に凛々しい。女性にもてたとの話も伝わるが、この像が本人を忠実にかたどっているとすれば、さもありなんと思われそうだ

 

ワルシャワ 若きショパンの足跡をたどる

歴史と芸術に彩られるポーランド(3)から続く


ワルシャワといえば、真っ先に作曲家・ショパンのことを思い浮かべる人も多いだろう。2021年にワルシャワ・フィルハーモニーホールで催されたショパン国際ピアノ・コンクールで、日本人ピアニストの反田(そりた)恭平(きょうへい)氏が2位に入賞したことは、記憶に新しい。筆者などはそれ以前にブームを巻き起こしたアニメ「ピアノの森」に熱中したこともあり、特別な思いで、その受賞を喜んだ。アニメの主人公・カイの師匠である阿字野(あじの)壮介が奏でるピアノを実際に弾いていたのが反田氏だったことを知って、大いに驚いたものであった。

ショパン国際ピアノ・コンクールの会場となるワルシャワ・フィルハーモニーホールは、実に厳かな雰囲気
ワルシャワ・フィルハーモニーホールの玄関前。ピアニストの憧れの地でもある

25年には次回の同コンクールが開催される。日本でもまた注目を集めることになりそうだ。となれば、ショパンゆかりの地を巡り歩いてみたいとの思いが募る。彼が幼少期から青年期にかけて暮らしたワルシャワの中でも、特に見ておきたいスポットが集まっている「ショパンの道(王の道)」と呼ばれる新世界通りへと繰り出した。

ヴィジトキ教会はショパンが幼少時にピアノを弾いた所。その演奏のすばらしさに誰もが驚いたに違いない

ショパンが生まれたのは1810年。ワルシャワの西54キロのジエラゾヴァ・ヴォラに、今も生家が残っている。ただし、そこで暮らしていたのは、わずか7か月のみ。一家はその後、ワルシャワへと移り住んでいるので、彼の記憶には残らなかっただろう。

ワルシャワで彼が住んでいたのは、王宮広場から南1キロほどのところにあるチャプスキ宮殿であった。当時のチャプスキ宮殿はワルシャワ中等学校として使用されていて、ショパンの父がここでフランス語を教えていた。その敷地内で家族は暮らしていたのだ。

ショパン博物館内に展示されたピアノは、ショパンが最後に弾いたものだとか

ちなみに、ワルシャワ大学の並びにヴィジトキ教会があるが、ショパンはここでミサの際にピアノを奏でていたそうだ。幼少の頃から多くの人々を魅了させていたこともよく知られるところだ。彼が本格的にピアノを習い始めたのは6歳の頃だというが、7歳にしてすでに神童扱いされていたというから、天賦の才に恵まれていたのだろう。

その教会から少し東へと道を逸れた所に、今はショパン博物館が立つ。以前は彼が通っていた床屋があった所だとか。彼が最後に弾いたというピアノも展示されている。

ショパンがパリで亡くなった後、その心臓だけが聖十字架教会内に葬られた
祭壇に向かって左手の柱にショパンの心臓が埋め込まれている。写真の一番下の部分がその場所

ショパンがワルシャワに住んでいたのは20歳まで。その1830年11月29日にはロシア帝国に支配されていたことに反発して市民が蜂起。ショパンが旅立ったのは、数週間前の11月2日のことであった。その後二度とポーランドに帰ることなく、1849年、39歳の時にパリで生涯を終えている。彼がなぜ帰国しなかったのか?それは、この蜂起にショパンが関わっていたからとみなされることもあるからだ。そのためもあってか、遺体を本国に運ぶこともままならなかったとも。せめて心臓だけでもと、姉が持ち帰って葬ってもらったのが、前述のチャプスキ宮殿の並びにある聖十字架教会だったという。

ワジェンキ公園内に置かれたショパン像(左)と後ろ姿のリスト像。50メートルほど離れて置かれている

ここから2キロほど南下したワジェンキ公園に彼の銅像が置かれているので、そちらへも足を延ばそう。50メートルほど離れた所に、友人でもあったリストの像がある。「ショパンとリストって、後半生はあんまり仲が良くなかったって聞いたけど、本当なのかしら?」と、同行の旅行者が呟いた。それが本当なら、この付かず離れずの距離と視線を合わすこともなく置かれた位置と方向の関係は、何やら意味深である。

ワジェンキ公園で催されるピアノコンサート。一日2回の公演で無料というのがうれしい

超絶技法を見せつけるリストに対し、しっとりとした情緒を重んじるショパン。対照的とも思える両雄のピアノにかける思いを鑑みれば、さもありなんと思えてくる。その真偽はともあれ、この公園では、5月中旬から9月にかけての日曜日に、無料のピアノコンサートが催されているのでお見逃しなく。

トルンはコペルニクスの出身地でもある。落ち着いた古都をのんびり歩くのも楽しい
ショパンが愛したピエル二クス(ジンジャー・ブレッド)も手に入れたい

また、ワルシャワからは遠く離れているが、グダニスクへ向かう途上にあるトルンという名の古都も、ショパンゆかりの地。ショパンが好んで食したピエルニク(ジンジャー・ブレッド)というクッキーがこの街の名物だからだ。お土産としても最適なので、この街に立ち寄った際には、手に入れて帰りたいものである。

文・写真/藤井勝彦

歴史と芸術に彩られるポーランド(5)へ続く(12/4公開)

<旅のインフォメーション>
■交通/ワルシャワへは成田などから直行便のほか、ヘルシンキなどを経由して行くこともできる。ワルシャワからトルンへはバスで約4時間
■時差/日本より8時間(夏季は7時間)遅れ
■ビザ/観光目的の場合、90日以内の滞在であればビザは不要。ただし、入国時にパスポートの残存有効期限が3ヶ月以上残っていることが必要
■通貨/ズウォティ(zt)1ズウォティ=37円(2024年11月27日現在)
■気候/ワルシャワの年間平均気温は夏季約18.3度、冬季約-3度
■問い合わせ/ポーランド政府観光局info.jp@poland.travel
 公式ホームページはhttps://www.poland.travel/ja


※記載内容は掲載時のデータです。

(Web掲載:2024年11月27日)


Writer

藤井勝彦 さん

歴史紀行作家・写真家。編集プロダクション・フリーポート企画代表を経て、2012年より著述業に専念。「日本神話の謎を歩く」「日本神話の迷宮」「邪馬台国」「源為朝伝説」「神々が宿る絶景」「三国志合戦事典」「三国志英雄たちの足跡」「図解三国志」「図解ダーティヒロイン」「中国の世界遺産」「世界遺産富士山を歩く」など著書多数。

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